会計士の肖像
東京共同会計事務所
代表パートナー内山 隆太郎
87年、大学を卒業と同時に監査法人中央会計事務所に入所。すぐに上司の指導の下、監査業務に携わる……はずだったのだが、卒業旅行で出かけたヨーロッパで得た感動が、内山を回り道させることになる。なんと「語学留学がしたい」と、いきなり休職を願い出たのである。ハーバード大学のサマースクールなどに参加して帰国した〝新卒者〞を待っていたのは、当然のごとく氷のように冷たい、周囲の視線だった。
世はバブル期、〝売り手市場〞の驕りもあったんでしょう、働く前に「休ませてくれ」ですからね。「なんだあいつは」ということになって、誰も近寄ってこない(笑)。私の会計士人生は、「自業自得で干された」状態からのスタートだったわけです。ようやく一人のパートナーが〝拾って〞くれたのは、その年の秋頃でした。
そんな経緯で携わった監査の仕事なのですけど、正直なところあんまり面白くなかった。人がやったものをチェックするという、あえていえば「後追いの業務」に魅力が感じられなかったのです。何か提案したいと思っても、「会計士といってもビジネスは専門外なのだから、余計なことを言ってはいけない」という感じで。これは長く続けられる仕事ではないな、というのが正直な感想でしたね。
監査業務を始めて2年後、国際税務部門である中央クーパース・アンド・ライブランド国際税務事務所への異動を願い出たのは、そんな環境を脱したいと考えたからにほかなりません。この部門を選んだキーワードは〝国際〞でした。やっぱり海外に行きたくて、少しでも英語力を高めておきたいという思いがあったのです。
異動は当たりました。海外展開を目指す企業相手の仕事は提案型で、共によりよい方策を探っていく、というスタイル。なにより「ビジネスをしている」という実感を得ることができました。初めて10万円の請求書を書いた時の嬉しさは、今でも鮮明です。「自分の提供したサービスがお金になる」という感覚を呼び覚まされた感じ、といったらいいでしょうか。それを境に、仕事自体に対する考え方、向き合い方が変わったと思えるほどに、私にとってはインパクトが大きかったですね。
ただし、「会計士になりたくて資格を取ったわけではない」内山に、そのまま監査法人で働き続ける気持ちはなかった。当時描いていたのは、「法人でキャリアを積んだ後、海外のビジネススクールに学ぶ」という青写真である。そして、国際税務に異動してから3年、その目的を叶えるべくアクションを起こす。しかし、今度はそこに想定外の試練が待っていた。
監査法人をやめてこれをやろう、という具体的な考えがあったわけではないのです。漠然と、ビジネススクールで勉強しさえすれば、自ずとビジネスが見つかるだろう、くらいに考えていた。ところが、そんな甘さを見透かすように、アプライした5、6校に、ことごとく蹴られてしまったんですよ。さすがに参りました。周囲には「もう辞める」と言ったのに、肝心の行き場がなくなってしまったわけですから。
そんな状況のなか、ある日、上司のパートナーである渡辺に突然呼ばれた。行ってみたら、「一緒に独立しないか」と切り出すわけです。さすがに即答はできませんでしたけれど、〝渡りに舟の話〞であることは間違いありません。国際税務で築いた人脈などをたどれば、独立後、顧問契約をしてくれるであろうクライアントの目星もつきました。そんな経緯で、渡辺とともに事務所を開設し、パートナーとなったのは93年、28歳の時でした。
おわかりのように、私は初めから独立を目指して、今の立場になったわけではありません。例えばビジネススクールに一校でも受かっていたら、間違いなく別の何かをやっていたはずです。
東京共同会計事務所代表パートナー内山 隆太郎