会計士の肖像
PwC Japanグループ グループマネージングパートナー
PwCコンサルティング合同会社
代表執行役会長鹿島 章
直属のボスとなった篠原氏に対する印象を尋ねると、「全然会計士らしくなかった」との答え。鹿島は氏の下で仕事に就き、学ぶなか、その影響を大きく受けた。性にも合ったのだろう、監査業務に携わりながらも、どちらかといえばビジネス志向の会計士として歩を進めていく。
「この仕事はサービス業だからな」「お客さまに喜んでもらってなんぼ」。これが、入所してからずっと篠原先生に言われ続けたことです。だから僕も、会計士らしく育たなかった(笑)。1980年代半ばの当時は、会計監査も仕事に幅があったので、コツコツと職人的に仕事をする人、ビジネス・オリエンテッドに立って仕事をする人、両方いたかと思いますが、先生は明らかに後者。ビジネスマンというか、経営者タイプでした。僕には、それがとてもかっこよく映ったのです。
最初の頃、お客さまのところに行くと「先生、先生」と呼ばれることに強い違和感があったんですよ。上場会社のお偉いさんが、実務経験の浅い若造に……おかしいでしょう。先方のほうが会計実務に通じているわけだし、内心で「先生」と思っていないことはわかりますから。一方で、僕はわりに苦労せず会計士試験に合格してしまったので、何年もかかって突破した人に比べると、会計士という資格そのものに特別な価値を感じていなかったんですね。それもあって、「自分は偉い」と勘違いすることなく、「お客さまから学ぶ」という姿勢を持つことができたのだと思います。
仕事は面白かった。篠原先生の下で、いろんな業種、会社の監査に携わるなか、あちこちの現場によく出向いたものです。例えば、同じ20億円をかけた設備だとしても、化学会社だったら「この配管の塊だけで20億になるのか」、製薬会社ならば「こんなこぢんまりとしたクリーンルームに20億もかかるのか」という具合に、現場を知ると仕事はがぜん面白くなる。もちろん、数字がきっちり合っているかどうかの確認は当然として、僕の興味はビジネスそのものに向くようになりました。お客さまとのいい関係性ができると何でも率直な話をし、ことビジネスに関しては、本当に多くのことを学ばせてもらいました。監査の仕事とはいっても、今みたいにガチガチじゃなかったから、けっこう自由にできたんですよ。
朝日新和に限らず、当時の監査法人にはコンサルティングという「ビジネス」はほとんどなかったが、一方では業務の枠が緩かった時代でもある。鹿島は常に、「顧客のために何かアドバイスを」と考えていたという。次第に仕事の色が変わり、鹿島はクライアントの新規開拓や、上場準備にある会社の手伝いに奔走するようになった。
ちょうど第三セクターがたくさんでき始めた頃で、それこそ大阪府、大阪市とかが法人を設立しそうな動きがあれば、営業して、新規顧客開拓するわけです。またバブル景気の時代でもあったので、上場したいという先も多かった。それに応えて、現状をレビューし、可能な限りのアドバイスをしたりしていました。なので監査というよりは、「お客さまと何かを一緒につくっていく」という感覚の仕事ですね。
その間に、朝日新和が提携先をアーサーアンダーセンに変え、所内でコンサルティングをやるぞ、という話になった。95年、結果的に僕はその「朝日アーサーアンダーセン事業部」に異動したんですけど、並行してアーサーアンダーセンのアトランタ事務所に1年間、トレーニーとして行かせてもらったのです。僕自身の希望でもありましたが、くだんの篠原先生から「コンサルティングを勉強してこい」との命を受けて。アトランタ事務所は150人ほどの規模で、ここでは業務とともに、組織運営を学ぶ意味においても、いい訓練の場となりました。
帰国後、当然コンサルティングをやらないと怒られるので(笑)、本格的に始めたわけですが、やはり性に合っていました。それでも、最初の2年くらいは葛藤もあったんですよ。監査を10年ほどやって、そこそこ責任のある仕事に就いていましたから、監査マネジャーとしてやれば、お客さまに対して一定の影響力は発揮できる。でも、本格的なコンサルティングは経験がないから、自分でプロジェクトを企画するところから始めて、さて、どこまでインパクトを出せるだろうかと。でも、監査を10年やったのだから、コンサルティングも10年は頑張ってみようと思ったのを覚えています。
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