会計士の肖像
篠崎公認会計士事務所
篠崎 真吾
結局、マイクロソフトは3年で辞め、今度はチョコレートで有名なマースに経理部長として入社する。ちなみに、この転職も、すでに同社に移っていた元クーパースの上司の“引き”だった。だが、篠崎はそこにも“長居”はしない。入社して2年後の2000年、自ら会計事務所を設立し、念願の独立を果たすのである。
僕には、ある意味トラウマになっている言葉があるんですよ。マイクロソフトのCFOと、マースに誘ってくれた元クーパースのマネージャーが、期せずしてくれた、同じアドバイスです。「3年以内に後継者をつくれ」「5年間、今と同じ仕事をしているようなら、それがお前の限界だ」――。3年以内に転職したのは、その言葉に感じるものがあったことも、理由の一つです。
マースを辞めて独立に踏み切る時には、マイクロソフトの成毛眞社長が、いいきっかけをくれたんですよ。そろそろ次のことを考えようかと思っていた矢先、「久しぶりに会おうぜ」と連絡があったんですね。顔を合わせるなり、「俺、社長を辞めようと思っているんだ」と。「えっ」と思う間もなく、「これからはITじゃない。ブリック&モルタル(店舗販売)の製造業が、日本を支えるのだ。そういう会社を応援するものをつくりたいから、手伝ってほしい」と一気呵成に語るわけです。
具体的には、インスパイアという投資コンサルティング会社を設立するというプランです。勢いに気圧されたわけではないのですが(笑)、なんとなく共感できる話だったので、その場で「お手伝いします」と答えました。
どう“お手伝い”したかというと、独立した僕が、インスパイアと契約し、その投資案件に「雇われCFO」のような形で参画して、実務をこなしたりコンサルをやったりするわけです。インスパイア専属ではなく、そこはあくまでもお客さまの一つ。このやり方は、その後も篠崎公認会計士事務所の仕事のスタイルとして、貫かれています。
そんな篠崎が、元ファーストリテイリング副社長の澤田貴司と、人を介して会ったのは、05年のこと。澤田は、やはり同社社長だった玉塚元一とともに、「企業を芯から元気にする」をコンセプトに企業再生ビジネスを手がける、リヴァンプの設立を構想していた。「一緒にやろう」という申し出に、二つ返事でOKしたのだが、待っていたのは予想外の“先発マウンド”だった。
リヴァンプの第1号の案件が、ライバルに押されるなどして、業績が低迷していたロッテリアの経営再建でした。まあ、あれだけの会社だし、かかわるといってもCFOのサポートくらいだろう、と思っていたんですよ。ところが、3カ月くらいして、澤田さんが突然、「社長やってよ」と言うのです。
当然、固辞しましたよ。「ゼネラルマネジメントの経験なんてありません。僕は、あくまでも番頭なんです」と。でも、最後は「じゃあ、先発して3回表まで投げてくれたら、リリーフを送るから」という説得に負けて、引き受けることにしたんですよ。考えてみれば、社長なんてなりたくてもなれるものじゃない。それに、ユニクロをあそこまで育てた二人が「助けるから」と言ってくれるのだから、と腹を括ったわけです。
ただ、迎えるほうの気持ちも痛いほどわかりました。業績悪化の折も折、会計士がトップに座るわけだから、誰しも「リストラの嵐になるに違いない」と考える。みんな戦々恐々なんですね。
そこで、就任早々、全社員の前で、「人件費には一切手をつけません」と宣言しました。結果的に手足を縛ることになったのだけど、そうでもしなければ、あのアウェイ感を覆して改革を進めるのは、難しかったと思います。
結局、“3回表”どころか、ロッテリアとの契約満了までの5年間、社長をやりました。その間、「業績を3年でブレークイーブンに持っていく」という目標は達成したんですよ。ところが、「よしこれからだ」という時に、あのリーマンショックです。売り上げの25%くらいをさらわれてしまった。
最後の最後に“公約”を破らざるをえなくなったのは、本当に辛かったですね。一緒に頑張ってきた仲間に10人、辞めてもらわなくてはなりませんでした。「どうして私なんですか?」という質問に、答えなんかありません。「下の人間に譲ってほしい」と、2時間でも3時間でも話すしかなかった。
篠崎公認会計士事務所篠崎 真吾