会計士の肖像
国際会計士連盟(IFAC)
理事觀 恒平
東京事務所に戻った觀は、日本のグローバル企業、外資系企業の監査に携わる。「働き方改革」以前の時代、「決算期が12月の外資系、翌年3月の日本企業の監査をやるのは、効率的だけどきつかった」と話す仕事の状況は、想像に難くない。多忙な日々を過ごすなか、パートナーに就任したのは、98年のことだ。
もちろん法人内のマネジメントもあるのですが、パートナーになって、より大変だったのは、監査対象の企業の人たちへの対応でした。自分がシニアマネジャー、パートナーと進むに従い、会わなくてはならない相手も〝偉く〟なっていく。楽しいことばかりではなく、時には厳しい話も、そういう人としなくてはならないわけです。
クライアントとの会食も、よくやりましたよ。そういう場も通じて、例えば、その会社で今何が一番課題になっているのか、それぞれの部署の状況はどうなっているのか、といった情報を収集する。大きな会社ほど、相手を知ることが監査にとっては重要だと考えていました。今はこのようなやり方は難しい面があると思いますが。
2007年には、「もう一度、海外に行かないか?」と声がかかり、ニューヨーク事務所に出向しました。アメリカのほかカナダや中南米諸国に出ている日系企業をカバーするグループの責任者という立場でした。
ニューヨークとはいえ、現地のオフィスには日本人が100人以上在籍していました。一日中ほとんど日本語という生活で、イタリアのほうが生きた英語を勉強できた(笑)。ただ、やはりそこはアメリカ、とにかく数字の達成を求められました。
そんななか、渡米2年目の08年秋に起こったのが、リーマンショックです。私は、現地でそれを目の当たりにすることになりました。折しも日系企業の人間が集まるゴルフコンペをやっていたのですが、「ちょっと急用ができまして」と金融機関の関係者が次々帰っていくんです。私たちのオフィスがあったビルには、のちにバンク・オブ・アメリカに買収されるメリルリンチも入っていて、ざわざわしているのが伝わってきたりもしました。
でも、自分たちも〝無傷〟ではすまなかった。これもまたアメリカ的で、ほどなくドライなリストラが始まったのです。週1ペースで、部下の日本人のところに解雇通知のメールが届く。「なんとかなりませんか」と訴える人もいたけれど、私の立場では、話を聞いてあげることしかできなかった。あれは辛かったです。日本とは違う厳しさも、あらためて実感しました。
アメリカにいたのは4年。11年に戻り、筆頭業務執行社員を務めた觀は、13年、今度はデロイトトーマツグループおよび監査法人のガバナンス機能を担う組織として新設された〝ボード〟の初代メンバーとなる。経営執行機関から独立した機関を設け、その監督に当たらせるというのは、当時としては先駆的な取り組みだった。トーマツにふさわしい統治の基盤構築を目指し、文字どおり試行錯誤の日々だったという。そうしたキャリアを重ねた觀に、有限監査法人トーマツ包括代表に、という声がかかったのは、15年のことだ。迷いもあったが、「せっかくのチャンスだから」と決意を固め、総人員6600名(当時)の組織の舵取りを担う立場に就いた。
私には、以前から「日本のトーマツを一流のファームにしたい」という思いがありました。例えば、デロイトのなかを考えても、アメリカが1番で、次が英国。いわゆるアングロサクソン系の人たちがリーダーであり、日本はまだそのレベルにない、と見られている現実があります。そのままでいいはずがありません。
一流のファームとは何か? ただ規模が大きければ、いろんなことをやれば、というのでは足りないでしょう。クライアントから尊敬される仕事ができて、初めてそう認めてもらえる、というのが私の認識でした。代表に就任後、初めて執行メンバーを集めた場でも、まず話したのは、「一流になるために何をなすべきか、自分たちで考えてみよう」ということだったんですよ。
国際会計士連盟(IFAC)理事觀 恒平
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