会計士の肖像
国際会計士連盟(IFAC)
理事觀 恒平
会計士試験には、大学4年の時に初挑戦するも失敗。1年浪人し、82年に、見事合格を果たした。合格後、学んでいた専門学校から「講師のアルバイトをしないか」と誘われた觀は、月のうち10日そこで教鞭を振るい、10日間は学校がアレンジしてくれた監査法人で実務補習に勤しむ、という生活を始める。ところで、今は大手の一角を占めるその監査法人だが、職場はまさに〝昭和そのもの〟だった。
当時の監査法人は、たいていそうだったと思うのですが、ベテランの先生がいて、その下に〝お付き〟のような人が何人かいる。何をやるにも、理屈より先生の言うことが優先で、クライアントのために仕事をするという雰囲気もあまりなくて。夕方5時に仕事が終わると、毎日飲みに行っていました。最初は楽しかったけれど、これじゃあ学生時代と変わらないな、と(笑)。
1年勤めたら正所員にしてくれるという話だったのですが、そのタイミングで辞めることにしました。専門学校に話すと、今度は個人事務所を紹介してくれまして。「将来、独立するという選択肢もある。それを見据えて、経験しておくのもいいだろう」と。
この時、ぽっかり1カ月ほどの休みができました。それで、当時若者の間で流行っていた〝海外一人旅〟に出ることにしたのです。行き先はインド。「成田発デリー」「カルカッタ発成田」の航空券だけを買って、初めての海外に出かけたわけです。
デリーの空港に着いて税関を出たとたん、物もらいの人から何からワーッと集まってきたのにはびっくりしました。宿も決まっていないし、どうしたものかと思っていると、白人のおじさんに声をかけられて。こちらの素性を知ると、「僕はアーサー・アンダーセンにいるんだ。同業じゃないか。困ってるなら、うちのホテルに泊めてあげるよ」と、1泊させてくれた。スタートから、ありがたい助け舟でした。
翌日から、当時出たばかりの『地球の歩き方 インド』を片手に、その日の宿を探しながら、混沌を絵に描いたようなデリーの街を〝徘徊〟しました。ヒンズー教の一大聖地のバラナシにも行きました。ガンジス川沿いに「クミコハウス」という日本人がつくったバックパッカー向けの安宿があって、疲れもあったのか、そこに何日間か滞在した記憶があります。
することといえば、土産物屋を覗くか、郵便局に行くかぐらいで、あとは日がなボーッとしているだけ。そのうち、「しょせん人間が一日にやることって、こんなものかな」という一種達観した気分になったものです。
喧騒と平穏の両極端を体験した旅から帰った觀は、心機一転、個人事務所で実務補習の続きを始めた。そこでは小さな会社などの顧問先も持たされ、「自分の好きなようにやらせてもらった」のだが、今度は、毎日同じ仕事を繰り返していて、この先自分はこれをずっと続けるのかという不安が芽生える。率直にその気持ちを伝えた事務所の所長に、かつてデロイト・ハンキンズ・アンド・セルズで勤務経験があったのは、あとから考えるとラッキーだった。「一度外資系で働いてみるのもいいんじゃないか」と三田会計社(デロイト・ハンキンズが85年に設立、現有限責任監査法人トーマツ)を紹介してくれたのだ。こうして87年4月、前年の秋に会計士登録していた觀は、また新たな一歩を踏み出すことになる。
そこは、以前の監査法人とは、ある意味、真逆の職場でした。監査とはどういうものか、どんな段取りでやるのかを、とても合理的に説明してくれる一方で、少しでもいい加減なことをしようものなら、「なぜそうなるのか、説明しなさい」と。おかげで、専門家として必要となるものを、基礎から学ぶことができました。
英語もやりました。法人から指定された学校に2、3週間通っただけでなく、個人的に別のところでもレッスンを受けました。直接の上司は、基本的に日本人だったのですが、たまにアメリカ人のCFOとかと、けっこうややこしい話をしなければならないこともあって。初めの頃はできない英語で四苦八苦しながら、なんとかコミュニケーションを取っていました。
実は入所する際、僕は「将来、海外勤務もしたい」と希望を出していたのです。インドでの鮮烈な体験が、その気持ちを後押ししていました。
希望が叶い、トーマツの初代イタリア駐在員としてミラノに赴任したのは、91年です。入所当時の三田会計社なら、海外はほぼアメリカ一択だったのですが、90年にトーマツと合併したことで、〝選択肢〟が広がっていました。
現地での仕事は、ひとことで言えば、イタリアに投資しようとする日本企業に対して、監査や税務、あるいはM&Aに関するサービスを提供すること。バブル景気も終盤だった時代、日本企業の対欧州投資に関して言えば、英国やドイツはあらかた終わり、フランス、イタリア、スペインというラテン系の国がターゲットになっていたのです。
いろんな案件がありましたが、印象に残るのは、ある商社がアパレルブランドを買おうとした一件です。とにかく高く売りたい相手は、鉛筆1本まで資産に入れてきて。「1万円だ」と主張するセーターを、「どう見ても300円でしょう」なんていうやり取りもありました。シビアなネゴシエーションの末に契約が成立し、両者が集まった懇親会の席上、イタリア企業のオーナーがやってきて、「君たちが300円だと言ったセーターを、全員にプレゼントしよう」と(笑)。
そんなエピソードも含め、イタリアにいた4年間で、海外ビジネスの基礎を学ばせてもらった気がします。
国際会計士連盟(IFAC)理事觀 恒平
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