会計士の肖像
PwC Japan有限責任監査法人
代表執行役井野 貴章
その甲斐あって、翌年、公認会計士第二次試験を突破。中央新光監査法人に入所し、国際部に籍を置く。バブル期を経て、日本企業がグローバル化を加速させていた時代である。留学の体験で宿った「海外を対象とする舞台で勝負してみたい」という思いが、井野のなかで大きく膨らんでいた。
就職の際には、いくつかのグローバルネットワークを持つ事務所を回りました。中央新光を選んだ決め手は、当時リクルート委員長をされていた片山英木先生との出会いです。クライアントに貢献する会計士の未来を熱く語る片山先生は、この人の下で仕事をすれば、きっと立派な会計士になれると思わせてくれる人間的な魅力に溢れていて、私も含め多くの若手会計士が慕う存在でした。志望する国際部の小澤元秀先生のお話も、とことん論理的でした。最後は「ここしかない」と確信して入所しました。
国際部は、基本的に外資系企業の日本拠点の監査を担当する部署です。外国向けの報告を行うわけですから、日本の会計基準だけでなく、海外の会計基準や内部統制なども理解しなくてはなりません。初めのうちは、それらを勉強しながら、自分の今やっていることが本当に正しいのか、手探りで確かめていく感じでしたね。そして、最初に米国の保険会社の日本拠点の監査に携わったことがきっかけで、僕はその後ずっと保険業界とかかわることになります。小澤先生には保険への道筋をつけていただいたうえに、結婚式の仲人もお願いするご縁となりました。
入所7年目の97年には、クーパース&ライブランドのニューヨーク事務所保険部門に出向する。前任の先輩たちから苦労話を聞かされていた井野も半年間苦戦の連続で、「食事も喉を通らず、ずいぶん痩せました(笑)」。しかし、愚直に仕事をこなすうち、徐々に周囲の信頼を得て、1年半の予定だった出向期間は3年ほどに延びた。この間、マネージャーに昇格し、帰国したのは2000年である。その直前、事務所は青山と合併して中央青山監査法人になっていた。新たに立ち上がった金融部に所属したのだが、仕事の中身は渡米前とは様変わりした。
折しも信用不安に陥った中堅保険会社が経営破綻するなど、保険業界にもバブル崩壊の累積的な影響が及び、再生・再編の動きが本格化していました。当時は、外国資本による買収案件が数多くあったんですよ。米国のホットな保険会計と内部統制に触れてきた僕は、その仕事に〝適任〟というわけです。保険部門所属でしたが、M&A部門でも1年以上、次々に来る案件をこなしていきました。
任務は、M&Aのデューデリジェンスをやって終わりではありません。米国企業に買収されれば、現場には米国会計基準やSOX法の内部統制の適用が迫られます。そのためのアドバイスをする機会も多くなり、任される仕事も急増。経験したことのない忙しさでしたが、大きなやりがいを感じ、託された任務をこなす日々。いきおい生活は、土日も働く〝ブラック〟な状態になっていました。ある日帰宅したら、一人娘の自転車の補助輪が取れているのに気づきました。いつ乗れるようになったのだろうと思って聞くと、近所の人が週末のたびに教えてくれていたと。父親は自分勝手に、仕事に埋もれていただけでした。
あの頃を思い返してみると、最も勉強させてもらったのは、〝買収された側〟の人たちの姿だった気がします。彼らはとにかく働きました。私の比ではありません。買収される前から散々つらい思いをしてきたのに、今度は新しい株主のもとで会計や内部統制の導入に全力で取り組む―― そこにあるのは、日本の保険契約者を守るという使命感でした。そんな努力を目の当たりにして、会計の手前で人が何をしたのかが、会社の格と会計数値の強さを決めることを改めて学びました。彼らの「絶対に再生する」という思いに応えたかった。会計士として一段成長する機会に恵まれたことは、職業的専門家として幸運な偶然だったと思います。
PwC Japan有限責任監査法人代表執行役井野 貴章