会計士の肖像
住田清芽公認会計士事務所
住田 清芽
4年生になってから資格取得のための専門学校に入り、住田は公認会計士試験に向けてエンジンをかけた。「短期集中で決着をつける」と猛勉強し、第二次試験に合格したのは84年、2回目のチャレンジだった。短期集中もそうだが、結果的には専門学校に頼らず、「基本は自分で勉強した」というのが、実に住田らしい。
予備校には行ったものの、漫然と授業を受けるのが性に合わなくて、途中からは「テストを受けに行くだけ」にしたんです。耳から聞くのって頭に残らないというか、やっぱり自分で調べて、読んで、消化していくと〝入る〟んですよね。最初の受験で、1カ月くらいの準備ではさすがに追いつかないとわかったので、2回目の時は、3カ月半くらい思いっきり集中して猛勉強。1日15時間、ほとんど家から出ずでした。そんな受験生活の味気なさから、2回目は「最後にしよう」と決めていたので、合格した時は本当に嬉しかった。人生がパッと開けたような感覚でした。
当時は、商法改正で監査対象が拡大し、会計士補も売り手市場にありました。四大卒女子の就職状況はまだまだ厳しい時代でしたから、待っていても勧誘があるというのは、受験生活のストレスを癒やしてくれたものです。お誘いを受けた事務所をいくつか訪問するなか、選んだのが朝日会計社(現有限責任あずさ監査法人)です。受験英語しか知らない私はもとより日系志望でしたし、加えて朝日には、将来に向けて確実に歩を進めるような印象があったので、迷わず決めました。
同期は20人くらいでしたが、私は紅一点。第二次試験合格者のうち、女性は全体の1割にも満たないという時代でしたから。朝日は毎年女性を採用していて、受け入れ体制はあったけれど、やはり珍しかったのか、とても大事にしてもらいました。監査先にも様々ありますが、内部統制がしっかり〝でき上がった〟会社にアサインされたり、出張ともなれば、宿泊先を気遣ってもらったり。他方、私は何も気にせず、むしろ生意気にも監査業務が地味だと感じていたから、「何のためにやるのか」を根掘り葉掘り聞いてから作業を始めるような新人だったんですけどね(笑)。うるさかったでしょうが、現場の先輩たちはとても丁寧に教えてくださった。振り返れば、つくづく大事に育ててもらったのだと思います。
住田がロンドンに移ったのは88年、入所して3年半が経った頃だ。夫が同地に転勤となったのがきっかけである。この時、住田はいったん法人から籍を抜いたが、朝日からの紹介というかたちで、当時のアーサーヤングのロンドン事務所に〝新たな職場〟を得ている。結果、6年間となった海外生活は公私ともに貴重な経験となり、後のキャリア形成にも影響を与えるものとなった。
ロンドンに行きさえすれば、できない英語も何とかなるだろうと思っていたのですが、その考えがいかに甘かったか、思い知らされました。読みは何とかなっても聞けない、話せない、書けないで、事務所も「いつ使い物になるのか」という感じだったと思います。それでも、日系企業担当グループの人たちが気長に育ててくださり、ここでも私は、とても環境に恵まれました。
当初は日本語でできる仕事を割り当ててもらって、主にやっていたのは、日系子会社や支店の記帳代行とか監査補助です。いわば〝お世話係〟なんですけど、これが非常に勉強になりました。記帳した銀行預金の出納帳は仕訳だけでなく、消費税の申告書類の元データになります。加えて記帳時には、個人所得税や社会保険料などの支払いの根拠資料を見るので、イギリスの税金や社会保険の基礎的な仕組みを理解するのにとても役立ったのです。
そうして2年くらい経って、やっと会計士らしい仕事ができるようになった感じでしょうか。以降、マネジャーになって、初めて担当した日系子会社の監査クロージングミーティングが終わった時、イギリス人パートナーから「I am proud of you」と声をかけられた時は、本当に嬉しかったですね。ロンドンで働き、暮らした濃密な6年間は、私にとって貴重な経験となり、財産にもなっています。休暇のたびにヨーロッパ中を旅行しましたし、人生で一番楽しい時期だったと思うほどに。そして何より、日本や日本人を客観的に見る視点を得たことが一番の収穫で、グローバルな感覚が後の仕事に大きく生きているのは確かです。
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