会計士の肖像
有限責任あずさ監査法人
会長髙波 博之
会計の道に進んだのは、不本意な商学部への進学という偶然の産物だった。しかし、「高校時代から英語が苦手だった」にもかかわらず、あえて外資系のアーサーヤング公認会計士共同事務所(AY)を就職先に選んだのは、本人の意思である。いったいどんな目論見があったのだろうか。
いや、そんなに深い考えはなかったのです。数少ない受験仲間だった大学時代の悪友に「どうせなら“ビッグ8”」と言われて、面接を受けて。事務所は交通の便もいいし、何より会計士試験に合格して天下を取ったような気持ちになっていたわけです。自分の苦手な英語もやっつけてやろう、くらいのノリだったと思います。
面接では、「英語力は関係ない」と言われたような気もするのですが、そんなわけはない(笑)。出社初日から、分厚い英語のマニュアルを次々に渡され、自分がいかに無謀な進路選択をしたのかを悟りました。「こりゃあ3年でクビだな」がその時の偽らざる気持ちです。でも、この選択も、結果的には間違ってはいなかった。監査部門で50人、タックスやコンサルと合わせても100人くらいのまだ小さな所帯でしたけど、マネジャークラスは、仕事に取り組む姿勢など尊敬できる人だらけで。
入所早々のパートナーのひとことも、この仕事をしていくうえで大きな拠り所になりました。「髙波君、私も君も会計士なのだから、理論的には対等なんだよ。自分が正しいと思ったことは、きちんと主張しないとダメだ」。なるほど、と真に受けてそのとおりにしたら、すぐにボコボコにされて、「話が違うじゃないか!」とは思いましたけど、何でも本心を言える雰囲気が、AYにはあったのです。相手が先輩だとはいえ、やっつけられると悔しい。だから、「今度こそ!」と入念に準備する。ただ論争に勝てばいいのではなく、発言には責任が伴うのだということも、仕事を重ねるなかで自然に覚えていきました。
監査では、大手商社や外資系企業を担当し、IPOも経験。一方、会計士になる動機ともなった「オペラが観たい」という欲求は、いささかも衰えることがなかった。幸運なことに、そこは外資系の事務所である。ロンドンやニューヨークに行けば、本場で“オペラ三昧”の日々を過ごせるかもしれない。そう考えて手を上げ続けた夢が叶い、アーンスト・アンド・ヤング(EY)ニューヨーク事務所に赴任したのは92年。ところが折も折、日米法人の提携関係の改変という想定外の事態が発生する。今度は異国の地で、人生の選択を迫られることになったのである。
AYは、89年にアーンスト・アンド・ウィニーと合併し、EYになっていました。そうした海外法人の合従連衡の結果、当時、監査法人朝日新和会計社と太田昭和監査法人の2社がEYと提携する、という構図ができていたんですね。しかし、その状態では業務上の不都合も生じたため、私がニューヨークに赴任した翌年の93年に、朝日がEYとの提携を解消し、新たにアーサー・アンダーセン(AA)と組むことになりました。自分の席を置く法人が“割れる”ことになったわけです。
この時、出身母体から言えば、EY側に残るのが私の立場ではありました。しかし、悩んだ末に、あえてそれとは違う道に行く――すなわちAAに移籍することにしたんですよ。
形式的には、ある種の“裏切り”です。わざわざ海外に送り出してくれた人たちの期待を袖にするわけですから。二度と同じ路線に戻って仕事はできない、という喪失感も大きかった。最後は、それぞれの道を選んだ人間がお互いに成功するしかない、と自分に言い聞かせて気持ちの整理をつけました。
なぜその道を選んだのか、ですか?
英語が不得意なのに外資系の法人を選ぶような人間にとっては、そちらの水が合うように感じられたから、と言えばいいでしょうか。単純に言うと入社時のAYの雰囲気と同じ匂いのするほうを選んだわけです。でもAAに行って見たら逆でしたけどね。当初これになじめずまいりました。
有限責任あずさ監査法人会長髙波 博之