会計士の肖像
仰星監査法人
理事長南 成人
新しい環境で、南は早々に多忙を極めた。共同設立者である安田氏の筋から、大手ディーラーグループの相続税・資産税にかかわる大きな仕事が舞い込み、続いて商法監査(当時)も行うようになったことから、実質2人ではとても手が回らない状態だった。この時期、唯一だった監査先を巡っては、忘れられない出来事がある。
実は、1社しかなかった監査先で会計不祥事があったのです。当時、クライアントの業績は悪化しており、それを隠蔽する意図があったのは明らかで、修正を求めても聞き入れてもらえなかった。唯一のクライアントだとはいえ、迎合などできないから、当然のごとく不適法意見(当時)を表明することにしました。
今でも忘れられないのは、監査報告書を提出した会議でのこと。ある役職者から「うちの会社を潰すのか!」と怒鳴られたんです。僕も若かったから頭に血が上って、「隠蔽はますます事態を悪化させるだけです」と机を叩き、会議室から飛び出した。その場は、同席していた安田さんが事態を収拾してくれて、報告書はもちろんそのまま通しました。僕は常々、「独立性なくして監査なし」と言っていますが、原点にあるのはこの一件です。ちなみに、そのクライアントとは険悪になったかというと、そうではなく、むしろ強い信頼関係を結ぶことができました。
そしてこの時期、ある大手ディーラーグループ各社の監査をすることになり、もう“どっぷり”という感じでしたね。監査を続けながら、組織や情報システムの改革などにも携わり、つまりはコンサルティングサービスを含めた仕事へと広がっていったのです。
仕事が増えて大変でしたから、リクルーティングは積極的に行ってきました。「うちに来ないか」と声をかけて、入ってくれたのが朝日新和で同期だった中川隆之氏、現在の東京事務所長です。基本的には彼と安田さんとの“三人四脚”で走ってきたようなものです。特に中川さんとは、妻といるより長い時をともに過ごしてきた(笑)。加えて、経験者以外を入れるなど考えられないような小規模の時代から、新人も採用してきました。先述したように、こういう時に生きるのがTACとのご縁で、その都度、僕らが望む独立心旺盛な人材を迎えています。振り返ると、僕は本当に人に恵まれてきましたね。
99年、東京赤坂は大阪を本拠としていた北斗監査法人と合併、成長に弾みをつけた。次いで、2006年に監査法人芹沢会計事務所と合併し、このタイミングで「仰星監査法人」へと名称変更。企業を導く道標「確かなる視座」になるという決意を込めた名称だ。以降も明澄、明和といった監査法人と合併を重ね、現在は300名超の陣容を整える準大手監査法人として存在感を発揮、右肩上がりの成長を続けている。
北斗と合併する以前は、上場会社の監査やIPO支援はやっていなかったんですね。会社法監査、任意監査、そしてコンサルをメインに、税務なども含めた“トータル”を扱っていたから、むしろ通常の監査法人としての成長は意識していなかったのです。だから、東京進出を狙う北斗から「一緒に」と打診があった時も、最初は断っていたんですよ。規模としては北斗のほうが倍くらい大きく、それこそ上場会社監査やIPO支援に実績を持つ監査法人で、うちとしては路線が違うようにも感じていたから。ただ、ここには朝日新和時代の同期が3人(髙田篤氏、寺本悟氏、新田泰生氏)いたものだから、「東京赤坂には南がいる」と何度となくラブコールがかかったわけです。
そのなか、先方代表の田淵正信氏と安田さんが面談する段となり、ここで意気投合。気持ちや考えがぴったり合うことがわかり、合併することにしたのです。これもご縁ですよね。合併発表を機に「IPOをしたいので監査を」といった依頼が増え、北斗からはそのノウハウや監査品質管理など、多くを教わりました。以降、顕著に成長してきたので、この合併が起点になったのは確かです。
次の合併先である芹沢会計事務所は、公認会計士制度ができた翌年に創業したという“老舗”。当時から一部上場会社のクライアントをたくさん抱えていて、今、うちがサービスを提供している名だたる被監査会社の多くは、芹沢時代からの顧客です。僕らのクライアントにはベンチャー系企業が多かったから、合併によってクライアント構成のバランスが非常によくなり、さらに人員の年齢構成についてもいいバランスとなった。その後の合併も含めて、互いを補完し合うというか、それぞれの強みをうまくマッチさせてきた結果が、今につながっているのです。
仰星監査法人理事長南 成人
その他役職
・ 一般財団法人会計研修機構 理事
・ 株式会社ファンペップ 監査役
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