会計士の肖像
株式会社JBAホールディングス
代表取締役 グループCEO脇 一郎
1993年、大学を卒業した時はバブル最後の頃で、就職に難はなかった。「どこにでも行ける」状態だったが、脇が志向したのは、漠然とながらも子供の頃から憧れていた「国際的な仕事」。入所先として選んだのは中央監査法人(当時)国際部で、脇はここから第一歩を踏み出したのである。
入所当初は外資系企業の任意監査をメインにやっていましたが、途中からは国内の仕事も増えてきて、当時の商法監査や証券取引法監査などにも携わらせてもらいました。中央監査法人にお世話になったのは3年ほど。96年に当時の第三次試験に合格したのを機に次へと動いたのです。
監査の仕事も面白いけれど、やっぱり根が商売人なんですよねぇ。監査は「儲かる」「儲からない」とは縁遠い仕事ですから、もっとビジネス色の強い世界に行きたくなって。最初は、軽い気持ちで転職エージェントと接触していたんです。「経営職の仕事ないですか」って。20代後半でしたからね、実際は経営職などないだろうと思っていたのですが、「アシスタント・コントローラの仕事がある」という話が出てきた。ドイツに本社を置くヘレウス・エレクトロナイトという外資系金属センサーメーカーの日本法人が、コントローラ人材を必要としていると。なんかカッコいいし、上司が外国人というのも、国際的な仕事を経験するいい機会だと考えました。
プロフェッショナルとしての自分の価値を測ってみたい、そんな感覚だったかもしれません。プロアスリートの世界って、評価は年俸や賞金などに反映されるじゃないですか。はたして、自分の首にはいくらの値札がかかるか。結果、監査法人よりも200万円ほど高い年俸を提示されたので、高く評価してくれる組織に行こうと決断しました。
脇は、ヘレウス・エレクトロナイトで実に様々な仕事を経験した。それは、財務経理を柱とした経営企画全般に及ぶ業務であり、まさに望んでいた“経営職”である。伸び伸びと自由に仕事ができる環境で多くを学んだ脇は、「とにかく面白かった」と当時を振り返る。
入社して半年ほど経つと、ベルギー人の上司が帰国してしまったので、「アシスタント・コントローラ」から「コントローラ」に昇格となり、日本法人の社長とともに様々な経営課題に取り組むようになりました。当時は業績もいいわけではなかったので、それはもう多面的に。例えば、業務全般の効率化。日本各地にあった拠点を集約したり、リストラのために管理職の人事評価にも関与しました。IT導入に当たっては、自分でルーターやサーバーのセッティングをやり、2000年問題対応でERP導入もしました。全然、経理財務がらみじゃないですね(笑)。
さらに、上海に工場をつくることになった時は業務面で陣頭指揮を執り、原価計算上最適となるように中国と日本の製造工程と物流をセットするなど、文字どおり経営企画に携わらせてもらった。本社に会計報告を送るのが“本職”ではあったけれど、領域にこだわらず何でもやらせてくれた社長には、本当に感謝しています。日本各地の製鉄所や、あちこちの現場にも一緒に行き、ビジネスの本質というものを教わりました。
入社してすぐ、現場を知る意味で工場の製造ラインに入ったこともいい経験でした。当然ですが、私には製造技術がないから、当然うまく組み立てなどできない。その中で、工場の作業員の高い技術に驚き、日本の製造業というのは現場が支えているのだと、心底実感しました。我々の仕事は「先生」などと呼ばれて思い上がりがちですけど、世の中には自分に“できない”ことが山ほどある。自分にできないことを“できる人”に対するリスペクトって、忘れてはいけないと思うんですよ。今でも、そういう意識は強いです。
もう一つ。振り返ってみると、監査法人時代に学んだ「企業の全体像を捉える」という視点が生きたのも確かです。端的な話がERP。これは、全体像が見えていればこそ、ガバナンスの観点を踏まえた導入を進めることができます。欧米などではアカウンティングファームから事業会社に入る人も多いですが、私も実際に経験を生かすことができたし、何より「ビジネスをしている」「結果が確実に出る」という感覚が非常に面白かったです。
株式会社JBAホールディングス代表取締役 グループCEO脇 一郎
専門家としての対外活動
●日本公認会計士協会常務理事
(ダイバーシティ&インクルージョン担当)/組織内会計士協議会会長
●国際会計士連盟(IFAC)
企業内職業会計士(PAIB)
アドバイザリーグループメンバー
●早稲田大学会計大学院非常勤講師