会計士の肖像
プライスウォーターハウスクーパース株式会社
代表取締役社長内田 士郎
帰国したのは99年。日本企業のグローバル戦略が本社主導にシフトする中、「今まで以上の支援を行うには、日本に戻ったほうがいい」と判断してのことだった。帰国後は、PricewaterhouseCoopers(PwC)米社から日本法人への出向役員、次いで、同社コンサルティング部門のIBMへの売却に伴いIBMの役員を歴任。05年10月、ベリングポイントの日本法人代表に就任した。ベリングポイントは、ピートマーウィックからスピンオフした会社で、内田にとっていわば古巣。旧知にも恵まれ、世界23拠点の中でも最高の収益性を誇るビジネスユニットに成長させるが、ここにきて、内田は人生最大の正念場を迎えることになる。
例のリーマンショックに端を発した不況の波を受けて、ベリングポイントの米国本社が、財務悪化からチャプター・イレブン(米連邦破産法11章)を申請する事態に陥ったのです。日本の業績は順調なのに、なぜ巻き添えにならなければいけないのか。何とか避けられないか。この頃の1年間は、私たちがどう生き残るかを考え抜いた正念場でした。日本単独でもやっていける確信はあったけれど、日本企業のグローバル化支援のためには、やはり世界ネットワークは欠かせません。幸いにも、名だたるコンサルティングファームが関心を寄せてくれて、様々な話をもらうことができた。その中で、私たちと目指す方向が一致し、相乗効果が大きいと判断したのがPwCだったというわけです。これもまた古巣。
世界的に拠点を持つ米国の上場会社から、日本だけスピンアウトさせるなんて奇跡的な話で、僕にとっては一世一代のディールでした。今思えば、PwCには僕を知っている仲間がいたし、やはりどこかで信頼関係がつながっている。私たちは会社や業界ではなく、社会に就職しているんだということを改めて実感します。だからこそ、自分のバリューやプロフェッションを磨き続けることが大切なのです。
この転身劇で、09年5月、ベリングポイントの日本法人はプライスウォーターハウスクーパースコンサルタントに社名変更。追って翌年、同社はPwCグループ内2社と経営統合し、「プライスウォーターハウスクーパース」として、さらに組織力を高めた。M&Aや事業再生といったディールアドバイザリーと、企業の成長を継続的にサポートするコンサルティングサービスを有機的にカバーする体制は、他社とは大きく一線を画す。
PwCJapanとして監査法人や税理士法人と協働し、お客さまには枠を超えた複合的なサポートを提供できる体制にあります。例えるなら、総合病院のようなもの。コンサルティングはお客さまの健康管理を促進する内科医、ディールズは外的変革をサポートする外科医。ほかに専門医も控えている。お客さまのニーズを探り、私たちのエキスパーティーズと組み合わせていく――さしずめ僕の役割は、総合病院の院長といったところでしょうか。
今、グローバル化の重要性を改めて強く感じるんですよ。80年〜90年代、日本企業の国際化はある程度成功したけれど、失われた20年と言われているように、そこから成長が止まっている。日本の成功体験は、独自の生産技術やノウハウをそのまま輸出し、日本流でオペレーションしたことによるもので、もうそれでは通用しない。企業側には、課題、やるべきことを明確にしていただき、他方、世界には、日本の良さを正しく理解してもらいたい。日本を尊敬される国にする、それが真の国際化だし、チャレンジしていかないと。
そして、僕の使命は二つ。一つはお客さまが困った時に、「PwCに頼めば何とかしてくれる」と選んでいただける会社であること。もう一つは、プロフェッショナルたちに「働くならPwC」と選んでもらえる組織であること。そのための環境を整えることです。
お客さまに成功していただいて、その感謝の気持ちが還元されて会社が成長し、個々の社員の能力も上がる。僕はよく“善の循環”と表現するのですが、これができれば人生は豊かになります。昔は会計士になるなんて思ってもいなかった僕が、お客さまに引き上げられ、仲間に押し上げられて、ここまでこれたのですから。
※本文中敬称略
プライスウォーターハウスクーパース株式会社代表取締役社長内田 士郎