会計士の肖像
有限責任監査法人トーマツ
包括代表國井 泰成
國井が転換点を迎えたのは96年。入社以来続けてきた監査業務からいったん離れ、金沢事務所に転勤した。これは國井の事情によるもので、事務所に申し出たところ「都合してくれた」転勤である。結果、1年に満たない短い期間ではあったが、國井が「一番の変わり目だった」と振り返るように、監査とは違う仕事を経験したことは、また一つ財産となった。
この頃は、千葉で事業をしていた父が大病を機にリタイアし、両親とも富山の家に戻って暮らしていたんです。ところが、今度は母も病気になって……自分が近くにいなければと思い、事務所にその旨を相談したのです。そのなかで出てきたのが、富山に近い金沢事務所への転勤話でした。あくまでも私の都合で、かつ、何かと無理を言った部分もあったのですが、それを聞き入れてくれた事務所には、今でも本当に感謝しているんですよ。
転勤した当初は、まったく違う仕事環境に戸惑いがあったし、親の看病もあったから、この先どうなるのだろうと不安になったりもしました。でも、私にとってはいい転換点になったのです。長く担当したクライアントや監査業務から離れ、つまりはリセット状態になれた。仕事も従前とは違って、これから株式公開をしたいという中小企業にアドバイスをしたり、伴っていろんな調査をしたり、そしてクライアントを新規開拓する営業も。当時はずっと東京にいたらできなかったであろう経験をしたことで、文字どおり仕事の幅と視野が広がったのです。
東京に戻り、追って社員になったのが99年、ちょうど40歳になった年です。監査報告書にサインをする立場として仕事をするようになり、加えて、日本公認会計士協会の活動にも携わるようになりました。日本の監査基準がまだ未整備の頃で、国際的な監査基準と整合を取るべく、プロジェクトが動き始めた時期です。監査基準委員会のメンバーとして、5年にわたりJ-SOXの指針づくりや監査基準委員会報告書の草案づくりにかかわったでしょうか。普段実務に追われていると、なかなか理論まで突き詰めて勉強するのは難しいでしょう。協会の活動を通じて、制度の背景にあるものや理論を学べたことは自分のためになったし、後の監査に対する力になりましたね。
國井が経営会議メンバーに就任したのは2010年。組織経営を担う一人として、その立場は大きく変わった。背景としては、リーマンショックの影響を色濃く受けた時代であり、トーマツもまた、組織再編に向けての転換期を迎えていた。國井は、いわば激動の時期に経営サイドに立ったのである。
リーマンショック後は、社内外問わず大変なことがたくさんあって、つらい思いもしました。一番ショックだったのは、私が社員になって初めて担当した会社が、突如、資金面で行き詰まり、法的手続きに踏み切ったこと。申請されたその日も監査チームが現場に入っていたぐらいで、何の予兆もなかったんですよ。あまりに突然で、最初は悪い冗談だと思うほどに驚きました。直接的な原因は金融機関の融資打ち切りにあったようですが、どちらかといえば優良な会社で十分な資産も持っていただけに……ショックでした。その後処理もかなり大変でしたしね。
多くの企業がリーマンショックの影響を受け、日本経済が急速に萎んでいったのは周知のとおりです。それは、多くの監査法人にとっても同じ。J-SOX導入によって、うちも人員を増やすなど活気づいていたのですが、それも終わり、私が経営会議メンバーに就いた時期はあまりいい経営状態にありませんでした。人員数の適正化にも踏み切らざるを得ず、当時のトップにも現場にもつらい決断をしてもらわなければならなかった。それまで、いろんなことがあっても安定経営が続いていたので、そういう意味では、創業以来の困難だったかもしれません。
そして……あの東日本大震災です。大変な危機と向き合ったこの時期は、どの企業、誰もが本当に大変だったと思います。私自身もつらかったけれど、こういう巡り合わせで組織マネジメントにかかわるようになったのには意味がある、役目があるのだと思って臨んできたつもりです。
有限責任監査法人トーマツ包括代表國井 泰成