会計士の肖像
有限責任 あずさ監査法人
パートナー山田 辰己
住友商事での配属先は、有価証券報告書などを作成する主計部。これは、当時あった三次試験に向けて実務経験が必要だったことから、山田が望んだ職場だ。勉強を続け、公認会計士登録をしたのが1980年。大手商社で長く決算業務に携わったことは、企業の実態を深く理解するという点において、「ものすごくいい経験でした」。
住友の伝統を踏まえたきちんとした教育を受けられたこと、そして、商社という一つの業種で深く会計に携わったこと、これらは僕の礎になりました。今は、伝票一枚切った経験もなく監査にあたる会計士も多いようですが、会計処理の現実を理解するには、一度事業会社を〝体験〞するのも有効ではないでしょうか。もちろん、監査法人にいれば様々な業種、企業の文化に触れられる利点があるので、逆に、それをベースにして企業に入り、複眼的な視点を生かしてもいい。つまり道は一つではなく、時に動きながら、プロとしての経験を積んでいくことが大事だと思うのです。
87年から3年間、ロンドンに駐在し、住商の金融子会社のバックオフィスで様々な仕事に携わりました。これも貴重な経験になったのですが、それは結果論で、正直いえば最初は行くのがイヤでした。なぜなら英語があまりできなかったから。当時、ある監査法人に「行きたくないので雇ってもらえませんか」と相談したくらいです。
でも、30代半ばというのは半端な年齢でしたから、「むしろロンドンで英語を学んで力をつけてきたら」と助言されて赴任したわけです。現地で日々、英語を勉強しながら徹底したのは、外国人と話していてわからない表現や単語が出てきたら、必ずスペルを書いてもらうこと。これでずいぶん英語を覚えたと思います。一応3年いたので、周囲には「英語ができる」という誤解も生まれ(笑)、その先、役立つことになりました。
90年、日本に帰国した山田は、企業財務制度研究会に出向する。国際的に会計基準が激しく動いていたこの時期、日本にも情報収集や動向分析をする機関が必要だという認識の下、大蔵省(当時)が新設した財団である。この新しい場が、山田に大きな転機をもたらした。
財団ができることを踏まえて、住商の上司が「うちに人を送る用意がある」と経団連に話をしていたようです。で、僕に任が巡ってきました。本来、ロンドン駐在は5年の予定だったところ、このために途中帰国し、しかも新設財団への出向だったから、周りからは「何かやらかしたのか」と言われたものです(笑)。
企業財務制度研究会では、いろんな会計処理を研究するにあたって委員会を設置するわけですが、僕は事務局として、その設営や資料などの取りまとめをしました。資料は当然英語のものが多いのですが、どうせなら全部読み込もうと思い、自分なりに勉強もしたつもりです。そこで、委員会メンバーだった白鳥庄之助先生や新井清光先生とお会いし、とても可愛がっていただきました。3年ほど在籍しましたが、新井先生からのお誘いもあり、結局、17年以上お世話になった住商を辞めて、紹介を受けた当時の中央監査法人に転職することを決めたのです。
自分の力が通じるかどうか……正直、自信はなかったので、大きな決断ではありました。ただ、会計でやっていけそうな感覚はありましたし、確かだったのは「やりたいことを見つけた」という強い思いがあったことです。企業財務制度研究会で働いたことで会計の最先端に触れて、新しい知識を得たり、会計基準設定のプロセスを理解したりする面白さを知ったこともあります。そして、これらの仕事が「自分に合っている」とも感じていました。かつて大学院に進もうと考えた時の気持ちと、どこかでつながっていたのかもしれません。
有限責任 あずさ監査法人パートナー山田 辰己
日本公認会計士協会理事/大蔵省企業会計審議会幹事/金融庁企業会計審議会臨時委員/税制調査会委員 ほか多数