会計士の肖像
企業会計基準委員会(ASBJ)
委員長西川 郁生
西川が入所した74年当時、監査法人栄光会計事務所(2度の合併と社名変更により現新日本有限責任監査法人)は100名前後の中堅法人。時代性もあって、米国の事務所のようなマニュアル監査ではなかった。しかしその分、各人が自分で考え、その場その場で工夫を積み上げていく環境は、多くの学びを与えてくれた。さらに西川はこの職場で、ロサンゼルスに海外拠点を開設するために渡米、「海外を経験する」という宿望を果たす。
マニュアルが整備されている今の監査業務からすれば、僕らの時代は遅れていたことになるんでしょうが、自分の頭で考えるのは面白かったですね。仕事理解への深度が問われるわけで、「何のためになぜこうするのか」を理解している人が仕事のできる人。それは今も変わらないと思います。
僕は、監査業務に“深入り”する前に渡米したのですが、環境のいい事務所でしたから、日々の実務はきつくても様々なことを学ぶことができました。出てきた資料の異常に着目するというか、ほころびを見つけるというか、そういうやり方です。ちょっと怖い話ですが、ウソの見破り方や自白のさせ方を研究していた先達がいたんですよ。鋭い人は多かったですね。ただ僕は若造でしょ、監査チームに加われば当然一番ビリっけつだし、監査している企業のことも見えていなかったので、もう少し視野を広げたいと思っていました。だから、入所して2年半ほど経った頃、事務所の新規開設のためにロサンゼルスに行くことが決まった時は、心が弾んだものです。
西川が26歳になる年、77年4月に渡米。研修で人を出すことはあっても、会計士事務所が海外に拠点を出すという発想はあまりなかった頃だ。面白いことに、この海外進出は事務所の方針というより、少々型破りな上司が言い出したことで、若くて熱心な西川に白羽の矢を立てたという。もとより海外指向の強かった西川にとっては、絶好のチャンスが巡ってきたのである。
その上司は会計士としてだけでなく、いろんなビジネスもしていた人で、日系人とのつながりも持っていたんですよ。ロスで会計士事務所をやっている日系人の友人がいるから「お前、行かないか」と年中言われていて、僕もそのたびに「行きたいです」と(笑)。ちょうど公認会計士第三次試験にも合格した年で、タイミングも良かった。
そして、長期ビザもちゃんとしないまま飛んで行き、その事務所に机一つで居候させてもらったのです。日系人ばかりの従業員の中、僕一人で更地からのスタート。事務所の仕事の仕方を覚えながら、ぼちぼち顧客開拓をやって……。日本企業が盛んに海外に進出していた時代だったからできたんだと思います。ロスにある米国大手の会計士事務所も日本部門は持っていたのですが、報酬が高かったり、細かい仕事を望めないという点で、ニーズはありました。主に、中小規模の日系企業の会計やら税務の仕事をしながらクライアントを増やし、居候先の下請け的な仕事から脱していったのです。
その後は、当時のBig8のひとつ、E&W(アーンスト&ウィニー)の中を間借りし、彼らの研修を受けたり、監査を手伝う機会も得ました。最終的に事務所のほうは、現地採用も含めて6、7人のチームに仕立てました。僕が帰国して以降も、栄光の名前を残しながら20年くらいは続いたので、まぁそれなりの成果は出せたかなと。無から自分で知恵を出し、問題があれば自分で解決していく。いちから会社をつくる感覚がとても面白かったですね。
家族とは渡米半年後にビザを解決して合流し、子供も男の子3人に増えました。仕事の合間をぬって、グランドキャニオンやヨセミテ、イエローストーンなど、家族と一緒に出かけた数々の旅行も楽しかった。約7年半の歳月、公私ともに本当に貴重な経験をさせてもらいました。僕が学生の頃に、漠然と求めていた「自由業」をやり切った、そんな充実感です。
企業会計基準委員会(ASBJ)委員長西川 郁生
| vol.3の目次一覧 |
|---|