会計士の肖像
企業会計基準委員会(ASBJ)
委員長西川 郁生
東京大学経済学部に進学。中学校受験の時と同様、ここでも担任教師の説得にあって取った進路だったが、西川はここで公認会計士という職業の存在を知ることになる。大学2年生の時、同じクラスにいた同級生が公認会計士第二次試験に“最年少”合格したことがきっかけだった。
親しい間柄ということではなかったけれど、やはり話題になりましたからね。その同級生は、合格と同時期くらいに結婚して、すぐに子供もできていたかな。今は大手監査法人の大幹部ですけど。僕も、その頃からすでに今の女房と付き合っていたので、どうせなら早く稼げそうな仕事を得たいと思ったんです。会計士なんて聞いたこともなかったけれど、資格を取っておけば最初からひどいことにはならないだろうと(笑)。
それと、僕はいわゆる“勤め人”を間近に見たことがない育ち方をしているので、勤め人指向がまったくなかった。役人などはその最たるものとして映っていたから、その道もなし。独立できて生活にも困るまい、そんな自由業のイメージに惹かれて勉強を始めたのです。でも今思えば、実際は違ったんですけどね。大手企業を監査する仕事というのは、組織的にするわけで、自由業の感覚とはマッチしないはずなんですね。そこは浅はかというか……まあ学生でしたから(笑)。
話は変わりますが、大学時代にはひとつ残念だったことがあります。入学して早々に、僕は海外留学をしたくて新聞社のスカラシップの試験を受けたのです。40年くらい前の話ですから、大学在学中の公費留学は数少ない制度で狭き門でした。ペーパーテストは最後まで受かって新聞に名前も出たけど、最終の書類選考で落ちちゃって。僕は、監査法人に入所してから20代半ばでアメリカに行く機会を得たので、早い時期に海外に出たほうでしょうが、もう少し早く、それも厳しい環境に入っていればと、今でも思うことがあります。もしそうだったら、会計士にはなっていなかっただろうけど(笑)。英語だけでなく、異国の文化や思考を肌身で感じる。そして、自分が日本人であることを強く認識する意味においても、海外経験するなら、早い時期に出るに越したことはないと思いますね。
大学3年から、公認会計士試験に向けて本格的に勉強に臨んだ西川は、翌73年10月、第二次試験に合格。西川もまた、数少ない現役合格者となったのである。「何とかなるだろうという気持ちで受けた」と言うが、一方で、世の中に対する不安が大きい今の時代とは違って、「そんなに深刻に悩まなくても済む平穏な時代だった」とも懐古する。そして西川は、卒業とほぼ同時に結婚。あとは仕事に就くだけという話なのだが、実は半年ほど“ブラブラ”していたそうだ。
正直なところ、試験に受かったのはいいけど本当に会計士になるべきかどうか。迷っていたんですよ。なんか伝票ばっかりめくっている地味な仕事に思えてきたし、加えて当時は世間的にも職業認知度が低かったですから。弁護士にも興味があったので、それも考えてはみたんだけど、法律の基礎も何もなくて、女房を働かせて勉強を始めるには敷居が高すぎました(笑)。卒業してから半年ほどは気持ちが固まらず、会計士協会がやっている実務補習に夜間通うぐらいで、働いていませんでした。でも結婚しているんだし、さすがにいつまでも遊んでいるわけにはいかないと思い始めた頃、親類が「ゴルフ場で出会った野々川幸雄さんという立派な先生がいる」と教えてくれて。その縁で、監査法人栄光会計事務所に入所したのです。
企業会計基準委員会(ASBJ)委員長西川 郁生
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