会計士の肖像
あらた監査法人
代表執行役木村 浩一郎
97年に帰国し社員に就いた木村は、2000年、折しも中央監査法人と合併した年に新法人の代表社員となる。そこで任されたのは、監査の審査を行う東京審議会の審査員、PwCのグローバルネットワークが持つ教育プログラムの、日本での具体化を推進する研修担当、そして監査部のグループリーダーだった。
担当したグループのメンバーは100人くらい。でも青山の出身者は一人もいませんでした。要するにどのような人間なのかも、これまで積んできた経験などのバックグラウンドも、まったく知らない人ばかりの集団です。これをどうやって、お客さまに対して最大限の力を発揮できる組織にしていくか。あれこれ考えても仕方ないので、とにかく一人ひとりと話をして、「相手を知り、こちらを知ってもらう」ことに徹しました。常に念頭に置いたのは、みんな会計士試験という難関をくぐる道をあえて選んだのだから、それなりに“熱い”ものを心に秘めているはずだ、この“士業”に求められる正義感を持っているだろう――という、彼らへの信頼感です。
そんな思いをぶつけ、こちらをさらけ出し、堅苦しい場ばかりではなく飲みにも誘い、といったことを愚直に繰り返した結果、そのグループには強い一体感が醸成されました。リーダーシップのあるマネジャーが何人かいてサポートしてくれたのも、ありがたかったですね。ある意味まっさらな組織をまとめていく仕事が好きになりましたし、そこで得た経験も、とても貴重なものでした。
まさに会計士として脂の乗り切った木村を激震が襲ったのは06年のことだ。粉飾決算に絡み、中央青山監査法人が業務停止命令を受けたのである。突き付けられたのは、改称したみすず監査法人に残るか、PwCのメンバーファームとして新設されたあらた監査法人に移るかという、本人いわく“究極の選択”だった。
それはもう、悩みました。不祥事に絡んだとはいえ、法人には素晴らしい会計士や仲間たちがいた。例えば立て直しのために設けられた緊急プロジェクトでは、偶然、栄光学園の2年先輩と一緒になりました。大変親しく仕事をさせてもらいましたが、旧中央の出身ですから、当然みすずに残る。楽しく仕事をしていたグループのメンバーも大半はそうするでしょうから、移籍ということになれば、私一人だけが“抜ける”ような格好になります。これは辛かった。
ですが、20年間上司として私を育ててくれた方々が移籍を決意されたと聞き、私もその道を選ぶことにしました。文字どおり“苦渋の決断”です。
あんな選択を迫られたくはなかった、と今でも思います。どちらがよかったのかも、“わからない”というのが、正直なところです。その結論はおそらく一生出せない、いや出さないでしょう。無理やり自分を納得させる人生は、送りたくないですから。
あらた監査法人代表執行役木村 浩一郎
[主な役職など]
財務会計基準機構評議員、経済同友会幹事、日本取締役協会幹事、会計教育研修機構理事など多数
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