The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
株式会社シーマ
専務取締役宮崎 一成
“水を得た”職場で、若い企業の新規上場に向けた業務に勤しむ宮崎氏だったが、入所15年目の2005年、今度は自ら転職を決意する。
「気がつくと、僕も40歳を超えていました。“四十にして惑わず”ではありませんが、今まで吸収してきた知識を社会に向かって吐き出したい、という気持ちがわき上がってきたのです。監査法人にいると、その厳正さゆえにいろんな制約もあります。ちゃんとリスク管理をしながら、もう少し自由に動ける環境に自分を置いてみたかった」
新天地は、知人が在籍していたコンサルタント会社。「IPO案件以外に、最も印象に残っている仕事は、西日本のある地方都市でスーパーの展開をメーンとしていた企業の、会社更生法適用プロジェクト」だったという。
「問題が明るみに出たのは06年暮れ。負債総額は200億円弱くらいだったかな。実は本社からは、案件を受けるか否かは現場で判断してほしいと言われていたのです。放置すれば年明け早々にも手形が不渡りになるのは確実で、最悪、年末には約2000人の従業員の人たちが路頭に迷う可能性がある。プロジェクトリーダーの私と主力のメンバー二人の意見は、“それだけは避けよう”という点で一致しました」
だが、ふたを開けてみると、驚くべき放漫経営の数々が明らかになる。管財人などとのやり取りも、熾烈を極めた。半年間は地元のホテルに泊まり込み、午前様の毎日を余儀なくされた。
「果して成功報酬が出るのかさえわからない」日々から解放され、再建計画が地裁に認められたのは08年4月。1年半にわたる“戦い”だった。
「口幅ったいようですが、従業員の人たちのためにという純粋な気持ちがなかったら、とてももたなかったでしょう」と、宮崎氏は振り返る。
結果的には、コンサルタント会社での在職期間の大半が、この案件に割かれたことになる。地裁決定の2カ月後には、前年から兼務で社外監査役を務めていたシーマに、専務として迎えられたからだ。
「コンサルの仕事にはやりがいを感じていましたが、結局他人の家のつくりを眺めて、『こうしたほうがいい』『わかりました』で終わってしまう世界。自分で直したほうが早いと思うことも多々ある。そんなジレンマを感じ始めていた時に、『来てほしい』と声をかけられ、2度目の転職を決意したのです」
株式会社シーマ専務取締役宮崎 一成
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