会計士の肖像
税理士法人レガシィ
代表社員天野 隆
高校ではサッカー、大学では福祉系のサークル活動に熱中。7年間の慶應義塾時代を、天野は存分に楽しみ、有効に過ごした。ちなみにサッカーに関していえば、現在、趣味が高じて「ジェフユナイテッド市原・千葉」のスポンサーを務めているほどだ。「この業界でサッカーを愛しているのは僕が一番」と、天野は笑う。
48歳になった頃から、仕事だけでもなぁ……と趣味を生かしたくなって、イタリアとかスペインとか、観戦にも行くようになったのです。僕の夢のひとつは、公益社団法人日本サッカー協会の顧問になって、クラブの決算書を分析すること。いつ出会いがあるかと考えると、ワクワクします(笑)。
大学で入っていた「クラブエトセトラ」というのは、面白くてね。コンサートやスキーツアーなどを主催して、そこで稼いだお金を福祉活動に使うんです。養護施設の子供たちとキャンプに行って、一緒に生活するとか。手応えもあったし、会計士試験に向けて勉強を始める2年生の冬まで、このクラブ活動ばかりやっていました。
会計士を目指したのは、「自分の仕事を自分で決められない」サラリーマンは僕の性に合わないと思ったし、腹の中では、どこか親父へのライバル意識があったかもしれません。とにかく、猛烈に勉強しました。大学にはほとんど行かず、当時の東京CPA専門学院に通いながら、毎日10時間。これが、公認会計士の高橋幸夫学院長に教わったノルマです。でも、だいたい8時間もやると、心身ともにへばってくるんですよ。じゃあ、残り2時間をどうするかと考えたのが、テープレコーダー学習です。覚えなければならないことを自分で吹き込み、夜に残り2時間、ひたすら聞く。決めたのは、絶対にテープを止めないこと。すると、何度も同じ曲を聞いていると自然に歌詞が出てくるように、いつのまにか頭に入っているんですよ。結果、一発で二次試験に合格することができました。
今、レガシィでは、会計事務所の先生方や企業経営者向けに、実務を勉強していただくCDやDVDを販売しているんですけど、僕の受験勉強と同じ“聞くだけ”スタイルです。忙しい方々ですから、電車や車、移動中の隙間時間に聞いてくださいねって。ここでも経験を生かしているわけです。
「大きな舞台を経験してみたい」――天野が選んだ先は、アーサーアンダーセン会計事務所。合同の就職説明会に出向いた際、“お固い”ムード一色の中、唯一ラフだったアーサーアンダーセンに惹かれた。加えて魅力的だったのは「アメリカに行けるぞ」という台詞。実際、天野は後にヒューストン事務所勤務を経験するのだが、最初は、言葉の壁に苦しむところからスタートする。
大変なカルチャーショックでした。東京事務所でしたから会話は日本語なんですが、調書とかは全部英語で書かなきゃいけなくて……僕は完全に無能力者状態。周りからそう見られている気がして、本当に苦しかった。何とか慣れて、仕事が少しできるようになったのは3年ほど経ってからでしょうか。
その頃に、ヒューストンの事務所に行かせてもらったんです。研修ですが、6カ月間、たった一人で。何事も勉強ですから、交通の手配なども全部自分でするわけです。ある時、シカゴの空港でヒューストン行きの切符を買いたくて、カッコつけた僕は体を左45度に構え「to Houston」と言ったら、2枚きちゃったりね(笑)。監査業務においても、日本人は基本的にヒアリングが苦手だし、都合の悪いことは相手もウワーッと話すから調書に書けない。最後の手段は「Please write down」、書いてくれですよ。仕事はとてつもなくハードでしたが、でも、世界的な舞台を肌で感じたし、僕もそれなりに図太くなれた(笑)。
キャリアとしては、監査3年、そしてタックスが3年。タックス部門では、「これからはシンガポールが面白いから、どうだ?」と勧められ、日本の税制すら詳しくなかった僕が、必死になってシンガポール税制を勉強したんです。35年ほど前の話です。当時、その専門家なんて日本に3人しかいませんでしたから、僕はその一人となって、希少な技術を持つことができたのです。
プロフェッショナルの能力の磨き方とはどういうものか――アーサーアンダーセンで一番学んだことですね。組織だからこそ、様々な経験の場を得られ、その道の達人と接することで人は育っていけるのです。税理士にしても会計士にしても、勘違いしていきなり開業しちゃう人がいるけど、僕は違うと思いますね。勉強したからって鍛えられるものじゃないんですよ、実務は。
税理士法人レガシィ代表社員天野 隆