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Accountant's magazine vol.11

-アカウンタンツマガジン-
2012年04月01日発行

会計士の肖像

「物事を成し得るには、人の力を信じ、情熱を持つこと。共鳴し合う人間が集まれば、世の中は確実に動くのだから」

Takenaka Partners LLC
President&CEO竹中 征夫

実績を挙げ、異例の早さでパートナーに。そして、独立へ

入所2年後、竹中は順当に米国公認会計士試験に合格。懸命な働きは上司に認められ、企業監査にも就くようになっていたが、さらに追い風が吹いた。日本企業の国際化、その黎明である。対米進出が盛んになり、日本企業にとって、財務・会計の分野で日本語が話せる竹中の存在は“救いの神”。逆に竹中にとっても、それは飛躍への足がかりとなった。快進撃が始まる。

日本の銀行だけでも、ロスに二十数行進出してきた時代です。さらに日立、三菱電機、ホンダ、マツダ……これら全部が、私のお客さま。当時は、監査だけでなく会計処理、M&Aアドバイザリーなど、様々なサポート業務が可能でしたから、日本企業の海外事業展開を多角的に支援することができました。のちに私は、ジャパン・プラクティス(日本企業部)の統括責任者となるのですが、この部署は私が“創業”したと思っているんですよ。

初めてM&Aに携わったのは、68年。日本ミネチュアベアリング(現ミネベア)の経営者、高橋高見さんとの仕事です。同社のベアリングはアメリカでけっこう売れていたのですが、輸入規制がかかり、現地生産に切り換えざるを得なくなった。でも、ゼロから立ち上げるのは、あまりに非効率。それで私がお手伝いして、スウェーデンの製造能力のある会社を買収したのです。高橋さんには、「総合メカトロニクスの部品会社になる」という夢があったから、この買収の成功を機に次々と会社を買い求めていったんですね。約15年かけて、一緒に20社以上買ったでしょうか。これでM&Aを学びました。高橋さんの姿勢は、常にプロアクティブ。「こういう会社がほしい」と自ら探し求めていく。バブルの頃に多くの日本企業がやっていたリアクティブなM&Aは、結果、失敗に終わっているでしょ。正しいM&A、その本質を学べたことは、私の大きな財産です。

遠からずクビになるだろうと思って入所した私が、時代の追い風を受け、通常は13年かかるところ、わずか8年でパートナーになった。もちろん成果を挙げてのことですが、異例なことですよ。これはね、アメリカの素晴らしいところ。横並び意識の強い日本とは違って、いいものはいいと認め、それに見合った環境を与える。この感覚も、私にはものすごく勉強になりました。

89年、竹中は24年間在籍したKPMGをあとにし、独立する。46歳だった。トップ層にまで登りつめ、世界的にビジネスを広げた華々しい実績がありながら、新しい道を選んだのは「楽しくなくなった」からだ。求められる仕事のやり方が変わったことで、「手足を縛られて仕事をする状態」に消化不良を起こし始めたのである。

お客さまのために100%仕事をする。それが、私の一貫した望みです。中立の立場ではなく、日本企業の側に立ってグローバル化に貢献したかった。それと、当時の私の立場では、トラブルの後始末やフィーの調整など、責任者としての仕事ばかりになって、これを一生やりたくないなと。私が好きなのは現場仕事。クライアントと楽しい仕事をできるのが最高の喜びなんです。

一人でスタートしました。お客さまはKPMGに残し、人材も、ほかの会計事務所や投資銀行などから自分でリクルーティングして。私は日本のことわざを大事にしているんですけど、「立つ鳥跡を濁さず」です。KPMGから恩恵を受ける発想はなかったし、何より、24年も過ごしたのだから、敵に回すようなことをして、その年月を無にしたくない。そういう始め方だったので、あのバブル期にあって、私は大きな買収にかかわっていないんですよ。お客さまは、全部中小企業だったから。でも、だから大きな失敗にも遭わずに済んだのです。中小企業は、金にモノをいわすようなM&Aはできないから、きちんと戦略を立てる。規模は小さくても成功するM&Aがほとんどで、私もずいぶん儲かった(笑)。

しかし、91年のバブル崩壊。これには打撃を受けました。正確に言うと、崩壊後は撤退や清算の仕事があったので、本当に苦しくなったのは90年代後半です。それまで私は、勢いに乗ってNY、タイ、シンガポールなど、あちこちに拠点を出し、スタッフ数も200名を超えていたんです。この規模ではまずいと思った時、範を取ったのは日本の歴史。金ケ崎の戦い、織田信長の撤退戦です。ジョイントでやっていた拠点は相手に任せ、ほかは従業員に渡すか、撤退。ロスと東京だけを残し、スタッフも40名ほどに縮小しました。同業をしていた金融機関やコンサルティング会社はほぼ全滅でしたから、撤退も攻撃のひとつなり。だからこそ、私は生き残ることができたのです。

Profile

Takenaka Partners LLC President&CEO 竹中 征夫

Takenaka Partners LLCPresident&CEO竹中 征夫

1942年9月6日
愛知県豊橋市生まれ
1957年9月
アメリカへ転居
1965年6月
ユタ州立大学商学部卒業
ピート・マーウィック・ミッチェル会計事務所(PMM・現KPMG)入所
1967年3月
米国公認会計士試験合格
1973年7月
PMM米国本土初の日系人パートナーに就任
1981年7月
海外進出日本企業担当「ジャパン・プラクティス」統括責任者に就任(PMM筆頭パートナー)
1989年3月
Takenaka Partners LLCを設立

[主な著書]
『企業買収戦略‐M&Aによる新しい企業成長』(ダイヤモンド社)、『アメリカに自分の店をもつ本‐出店と経営のノウハウ』(実務教育出版)、『米国進出 人の集め方、使い方、活かし方‐日本企業の泣き所を克服する人事戦略』(日経BP出版センター)、『伸びる企業 伸ばす戦略‐環太平洋時代に求められる国際ビジネス感覚』(経済界)、『金融のしくみ‐1項目3分それだけでわかる!』(三笠書房)、『対米投資ガイドブック‐会社設立から事業運営の総て』(プレス・インターナショナル)ほか多数

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