会計士の肖像
Takenaka Partners LLC
President&CEO竹中 征夫
得意の数学を生かし、会計学を学ぶことにした竹中は、ユタ州立大学に進学。ずっと奨学金で通えたほど学業優秀で、卒業も首席。勉強に励んだのはもちろんだが、大学時代、竹中は「いつも仕事していた」そうだ。結婚に向けて軍資金を稼ぐためである。結婚相手は、高校生の頃から文通を続けていた日本人女性。驚くことに、結婚を決めるまで互いに一度も会っていないというから、実にロマンチックな話だ。
私の杖は日本でしょ。だから、女房にするのは、絶対に日本人と決めていました。友人の紹介で文通を始めて、私は、手紙だけで彼女を結婚させる気にしたのですから……そう考えると、情熱家かもしれません(笑)。大学3年の時、日本に戻って結婚し、アメリカに連れ戻ったのです。その結婚費用や渡航費を工面するために、猛烈に働きました。学生で結婚するなんて、親はサポートしてくれませんから。ホテルの夜警、レストランの皿洗い、何でもやりました。で、結婚したらすぐに子供ができたので、大学を卒業する頃には、私は子連れ。残っていた手持ちのお金は、わずか500ドルでした。
就職については、ちょっとしたエピソードがありまして。最初、私はGE(ゼネラル・エレクトリック)から採用のオファーを受けたんです。当時だと、三菱や三井に入るような感覚だから、「やった!」ですよ。ところが、会計学の教授が「バカな話だ」と言う。会計学を首席で卒業する人間は、会計事務所に入って公認会計士の資格を取得するのが進むべき道だと。アメリカは、とりわけ資格社会。「このままGEに入って5年経った時と、資格を取って5年後にGEに入った時の給料を比べたら、3倍は違うぞ」。だから、目指すべきは、当時あった8大会計事務所のどこか。それが夢なんです。それじゃあと、インタビューを受けてはみたものの、誰も雇ってくれない。人種差別もあったでしょう。格段、英語が流暢だったわけでもないし、日本人であることは負でしかありませんでした。
しかし、竹中は運を引き寄せる。くだんの教授の力添えもあり、ピート・マーウィック・ミッチェルの国際リクルーティングの責任者と会えることになったのである。この責任者の目的は、ほかの大学へのインタビューだったから、空港でのわずかな時間を利用して面談するという、少々“ゲリラ的”な方法ではあったが……。
「日本の事務所で雇ってくれるかもしれない」と聞かされていたのですが、私は、何としてでもアメリカで仕事したかった。親は、私の教育のためにアメリカに連れて来たのだから、実務経験もないままに東京に行くのでは意に反すると、そう訴えたんです。その時、ロサンゼルスのリクルーティング責任者も一緒にいましてね、採用枠50人のうち、最後に残っていたひとつの席を私にくれたのです。今思えば、運がよかった。65年、日本人として初めて採用され、ソルトレイクシティからロスに移ることになりました。
就いた仕事は、例えばロスの教育委員会であるとか、パブリックセクターの監査です。これもアメリカ社会の人種差別は否めなくて、有色人種は大手企業の監査は担当させてもらえなかった。なので、私は公共機関の仕事を一生懸命やっていたんですけど、こういうところの決算は6月末なんですね。一方、多くの企業は12月末。半年の差があるので、メインストリームが多忙になる頃、私たちの部署は暇になる。その間、私は何をしていたかというと、税務部門を手伝っていたのです。
実は、これも運のいい話。私、字がすごくきれいなんですよ。パソコンなんてない時代だから、税務申告書などはすべて手書き。私の字が重宝されましてね、付いたニックネームが「ヒューマン・タイプライター」(笑)。当時の事務所は、アップ・オア・アウトシステム、つまり上がるかクビになるか。それは厳しい世界で、仕事ができない人間はどんどんクビになっていくのですが、私は税務部門を隠れ蓑に(笑)、生き延びることができたのです。
Takenaka Partners LLCPresident&CEO竹中 征夫
[主な著書] 『企業買収戦略‐M&Aによる新しい企業成長』(ダイヤモンド社)、『アメリカに自分の店をもつ本‐出店と経営のノウハウ』(実務教育出版)、『米国進出 人の集め方、使い方、活かし方‐日本企業の泣き所を克服する人事戦略』(日経BP出版センター)、『伸びる企業 伸ばす戦略‐環太平洋時代に求められる国際ビジネス感覚』(経済界)、『金融のしくみ‐1項目3分それだけでわかる!』(三笠書房)、『対米投資ガイドブック‐会社設立から事業運営の総て』(プレス・インターナショナル)ほか多数
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