会計士の肖像
株式会社アットストリーム 代表取締役
アットストリームパートナーズ合同会社 理事長・代表パートナー大工舎 宏
実際、出井伸之社長時代のソニーが「これは面白い」とミッション型人事制度を採用するなど、チームは小ぶりながらもブランド価値の高い案件にかかわり、存在感を高めていく。ただし、日本市場での規模拡大を追求するアンダーセンにおいて、その事業はどこまで行っても“アザーズ(その他)”に過ぎなかった。組織の一員であることに限界を感じた大工舎は、ここでまた新たな選択をする。志を同じくする仲間たちとともに、独立を決意したのである。資金の裏付けが得られたことも、決断を促した。創業メンバーの一人がネットビジネスを手掛ける米国・韓国の資本家から、出資の約束を取り付けていたのだ。確かに1回目の出資を受け、それを原資に事務所を借り、人の採用準備も整えて、さあスタートという矢先、思わぬ事態は起こる。
私がアンダーセンを退職したのは、2000年の12月末で、01年の4月から新会社の事業開始、というスケジュールだったのです。ところが、その直前になって、資本家から「ネットバブルが弾けて経営が悪化したから、2回目の金は出せない」と。当時、同じようなパターンで海外の資本家が日本の起業家に出資するという例が珍しくなかったので、私たちにも脇の甘さがあったのは確かです。
とはいえ、「えらいこと」になってしまいました。当初から数十人規模でスタートという絵を描いていたので、人件費とオフィスの賃料だけで、出資金の残りはすぐに消えてしまいます。一方、対外的にも公表しているし、すでに人の採用はかけているし、「退くも地獄」の状況。事業継続を主張する仲間もいるなか、私は「撤退しよう」と訴えました。他に出資者を探すといった方策がないわけではないものの、時間は切迫していました。メンバーで議論の末、結局つくったばかりの会社を閉じ、内定者に頭を下げ、オフィスを引き払うことに。そこからの数カ月は、幻で終わった会社の後始末が、私の主な仕事になりました。
約束されていた資金調達が、一瞬にしてパーに。起業にとって、これほどのダメージはあるまい。しかし、メンバーはめげなかった。後始末が終わった01年7月、あらためてアットストリームコンサルティング(現アットストリーム)を設立、大工舎は共同経営者・取締役に就く。「他人を頼らない」という教訓を胸に、出資金をみんなで持ち寄り、再スタートを切った。
スタート時の共同経営者は、私を入れて4人。すぐに2人が加わりました。全員、アンダーセンの大阪事務所、名古屋事務所で働いていた人間です。
みんなマネジャークラス以上のキャリアの持ち主で、能力は申し分なし。先行きに不安を覚えるようなことはまったくなかったのですが、なにしろあるはずの元手が消えてしまった(笑)。ありがたいことに、付き合いのあったITベンダーや金融機関などの紹介もあって、順調に仕事が獲得できたとはいえ、成果を出して報酬が入金されるまでには、タイムラグもあります。でも、振り込まれたお金を目にするまでは、給料はゼロで頑張ろう、と。こういうところは、創業メンバーの強さなのでしょうね。
いきなり出鼻をくじかれて、ある意味恥もかきました。ただ、スタートアップで大変な苦労をしたことは、我々にとって「雨降って地固まる」経験でもありました。負け惜しみではなく、あのことがあったから、今がある。
ゼロからのスタートにあたって、どんな会社にするのか、何度も話し合いの場を持ちました。その結果まとめた創業時のビジョンには、「一人ひとりがブランドとなるファーム」というキーワードがあります。言ってみれば、「ビートルズ戦略」。新しく入ってくる人たちにも、単に「コンサルティング会社に勤める人」にはなってほしくなかった。20年経った今も、このことは常に意識しているんですよ。
株式会社アットストリーム 代表取締役 アットストリームパートナーズ合同会社 理事長・代表パートナー大工舎 宏
◎その他の現職
大研医器株式会社 社外取締役
甲南大学経営学部 非常勤講師