The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
株式会社インターワークス取締役
経営管理本部本部長大平 秀行
そして、93年、7回目のチャレンジに失敗した大平氏は、「会計士はきっぱり諦める」ことを決断する。気がつけば、30歳になっていた。
「模試での成績はいいほうだったので、本来受からないとおかしい。まあ、本番に弱かったんでしょう(笑)」
ただし、資格取得は断念したものの、「事業会社に行って経理・財務のトップになる」という人生設計を放棄したわけではなかった。改めて選んだのは、「税理士事務所に入って、会計のスキルをつける」道である。
心機一転、就職したのは、当時大阪で最大手といわれた事務所で、職員は100名近かった。そこで、「最盛期には47社」のクライアントを受け持つ。
「全社を1カ月で回り切る。できなかったら、所長の大目玉です。社会経験もほとんどないけど生意気だったから、鍛えがいもあったのでしょう。もう怒られっぱなし。僕ほど叱られた経験を持つ人間も珍しいと思います。でも、得難い経験でした」
結局、5年間そこに在籍し、「一人で決算・税務申告ができるスキル」を身に付けた大平氏は、97年に、国際電話のベンチャー企業アイ・ピー・エスに経理課長として迎えられることなった。事業会社の経理担当に就くことで、“最終目標”にぐっと近づいたのである。
だが、そこはベンチャー。
「課長といっても、経理には誰もいない(笑)。5月の連休明けに入社して、その月末が税務申告期日でしたから、いきなり徹夜続きです。人事や総務などの組織も未整備で、結局、管理部門全部、人事・総務含めた組織の構築から、取り組みました。まあ、初めからCFOみたいなものでしたよ」
とはいえ、むろん組織を構築した経験などない。
「まさに試行錯誤の連続です。顧問の会計士や、社労士に話を聞いたり、本を読んだりして、とにかくやってみる。悩んでいると、ベンチャー企業のトップならではの、『なにぼやぼやしてるんですか』という叱責が飛んでくる。ただ、そのうちに、『業務フローの構築って、要するにルールをつくること』という単純な真理に到達したんですよ。ちゃんとルールをつくって、それを周知徹底させる。難しいのは、実は徹底させることで、それを実現するにはトップとの信頼関係が不可欠でした」
大平氏はまた、「7年にわたる“モラトリアム”が、決して無駄ではなかった」ことも、この時、実感したという。「例えば、専門家から話を聞いても監査や経理、会社法などについてきっちり理解していたからこそ、より深い理解ができる。そんな感想を持つことが、たびたびありました。自分が抱える問題を解決するためには、専門家に何を質問すべきなのかも、知識の蓄積が助けになったのです」
こうして実績を重ねた大平氏は、04年に同社取締役に。同じ年、「介護ヘルパーの人材派遣」という新規事業の責任者を任される。管理部門を飛び越えた挑戦だったが、皮肉なことに、この挑戦をきっかけに、同社を去ることに。事業は軌道に乗ったものの、「次第に社長の方針とのズレが大きくなった」のが原因だった。
株式会社インターワークス取締役
経営管理本部本部長大平 秀行