会計業界の起業人
清和監査法人
シニアパートナー筧 悦生
1997年、筧氏は株式公開のコンサルタントとして紹介を受けたベンチャー企業と業務契約。業務管理部長として、社内規定整備や内部統制構築といった公開準備を推し進めていった。
「帝国データバンクから非公開企業の財務データランキングを取り寄せてみると、その企業が100位くらいにランクインしたんです。それで、『どうせなら、今度は1位を狙いましょう』と提案をしまして。本社ビルの賃貸契約を見直し入居保証金を圧縮したり、早期決算により納税を決算日前に実施し、自己資本比率、流動比率、固定比率などの数値で1位を獲得。東証マザーズへの株式公開を実現させました」
こうして経営トップの信頼を得た筧氏は、同社の常勤取締役に就任。その実績を持って2000年8月、株式公開コンサルティングの会社、アーケイディア・グループの設立も果たした。
「ところが、すぐにネットバブルが崩壊。しかも、その後に設立した監査法人の名前が、ビジネス雑誌で“ジャンク監査法人”として掲載されてしまったのです。来るものは拒まずの姿勢が甘かったのでしょう。ショックでしたが、そこで初めて急ぎすぎた自分に気が付きました」
だが、その痛手は大きすぎた。監査業界を揺るがした法人名は、すぐに世間に知れわたり、名刺すら出せなくなる。「もはや、これまでか……」。そうあきらめかけた時、みすず監査法人で代表社員を務めていた川田増三氏から「もう一度、頑張ってみないか」と声をかけてもらった。
「うれしかったですね。二度と同じ過ちを繰り返してはならない。クライアントの状況を冷静に判断し、自分たちに求められる役割と人材を見極める。実質を重視する監査法人としてリスタートすることを決めたのです」
2006年10月、筧氏は法人名を東京国際監査法人から清和監査法人へと改名。クライアントの実態を正しく会計に表し、経営を健全な方向へ導く役割を果たすことをミッションに掲げた。
「ただし、若いうちは失敗を恐れずに、絶えず新しいこと、面白いことを見つけていきながら、能動的に業務に携わってほしい。そこで、所員は若手を中心に構成。風通しの良い、自由闊達な風土をつくり上げていかなくてはならないと思ったんです」
それが、他の監査法人との差別化につながる。自分たち独自の存在意義を確立したかったのだ。
「ワイン会議に、かくし芸大会。忘年会にマジシャンを呼んだこともありました。社員旅行には、誰もが行ってみたいと思うような場所を選び、超高級ホテルに宿泊しました。大きな変革の波にさらされている監査業界で、普通にやっていたら硬直化してしまうんです。だから、自分たちで崩していかないと、サービスの質も仕事に向かう姿勢も変わらない。多様なニーズに応えられるサムシングニューをつくり出す組織にはならないんです」
目指すは、変化する会計業界にあって常に正しい方向に成長し続ける組織。「大手監査法人にいましたから、その規模が普通だと思っているんですよ。だから、自分のイメージからすると、当社はまだまだ全然小さい。大きくなりますよ、自然に魅力的な組織に」
清和監査法人シニアパートナー筧 悦生
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