会計業界の起業人
税理士法人レガシィ
代表社員天野 隆
猛勉強の甲斐もあり、二次試験には大学4年の時に合格。天野氏は、大学卒業後、アーサーアンダーセン会計事務所に入所することになる。
「アンダーセンではシャープやダイエーなど大手企業の監査業務に従事。シンガポール進出に伴う国際税務も担当しました。その頃、日本の税制とシンガポールの税制の両方がわかる会計士は、国内に数人しかいませんでしたからね。人ができない仕事をやれることにやりがいを感じていました」
ところが、それから程なくして母親が急逝。天野氏はアンダーセンを退職し、父の税理士事務所に入所した。
「それまで大きな事務所で6年間の経験を積んでいましたからね。自信満々で近くのラーメン屋さんへ提案に行ったのですが、月5000円の顧問料が高いと門前払い……。自分の価値はその程度かと、かなり落ち込みました」
仕事のスケールや価値観の違いに大きなカルチャーショックを受けた天野氏だったが、当時は30歳になったばかり。持ち前の行動力とバイタリティーで新たな活路を見いだしていく。
「何ごとも視点を変えるだけで、それまで気付かなかったことに気付いたり、解決への糸口が見つかったりするものです。そこで、ほかの税理士がまだ手を付けずにいた資産税で勝負しようと考えました」
そして天野氏は、85年、所内に財産管理の専門部署を設置。34歳で株式会社FPステーション(現株式会社レガシィ)を立ち上げると、資産家の譲渡問題を専門に手がけることにした。
「父には、『そんなに急ぐな』と言われました。けれど、ニーズが確かにあって、やりたい仕事なわけです。父とはよくやり合いました(笑)」
時代はバブル景気が始まった頃。天野氏の元には、資産家の譲渡依頼が増え続け、堅調にその経験やノウハウを蓄積していった。ところが90年に入ると、バブルがはじけた影響で譲渡の相談が減少。そして、ある案件を機に今度は相続に力を入れることになる。
「その頃、自分が住む街の子供たちに森を残したいと遺言して、他界された資産家がいらっしゃいましてね。私たちは、ご遺族が相続できなくなるのを承知で、先人が残した広大な土地をある財団に寄附することを提案したのです。ところが、そのご遺族は『亡くなった父の思いが叶うなら』と、とても喜んでくださいまして。今も、その森を見るたび、つくづく相続の仕事を始めて良かったと思うんです」
以来、タックスプランニングの力量が問われる相続専門会計事務所として業績を伸ばし、税理士法人レガシィは急成長を遂げていく。しかし、順風満帆ばかりではない。2000年に入ると、銀行紹介の相続案件が激減。それからは、顧客から紹介される相続案件の仕事に注力してきた。
『財産残して銅メダル、思い出残して銀メダル、生き方残して金メダル』。天野氏が相続の仕事を通じて、幸せな人生の最期のカタチを学び、心に刻んだ言葉である。
「私はね。どんなプロでも常に新たな時代を見据え、仕事の中身もやり方も高い志を持って自ら変えていくべきだと思うんですよ。そのためにも当所ではお客さまにアンケートを取って、顧客満足度を調査。所内で共有し、自分たちの課題にしています。次なる目標は、相続の専門家集団としてオンリー・ワンになること。誰からも『レガシィに頼んで良かった』と喜ばれ、『相続ならレガシィ』と言ってもらえる時代になったらうれしいですね」
税理士法人レガシィ代表社員天野 隆
| vol.3の目次一覧 |
|---|