The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
株式会社ディー・エル・イー
取締役 CFO 経営戦略統括本部長川島 崇
最初に配属されたのは、監査ではなく“調査”の現場だった。
「折しも証券会社の“飛ばし”事件が発覚し、ほかの証券会社が監査法人に身の潔白の証明を依頼してきた、という案件でした。あらぬ噂が立つとまずいということで、調査はそこの社員にも秘密扱い。鍵をかけた窓のない部屋でひたすら帳簿とにらめっこ、というのはきつかったですよ」
だが、入所2年目にあった部門制から業種単位の事業部制への移行に際しては、今度は自ら“きつい”現場に踏み込んでいく。打診のあった金融ではなく、IT・エンターテインメント系の事業部に手を挙げたのだ。「ゆくゆくはビジネス界に出ていろんなことをやりたい、という目標に照らすと、金融は違うんじゃないか」というのが理由だった。
とはいえ、そこは“弱小”の部隊。入社2年目にして、上司はもちろん部下もいない状況で、インチャージを任されることに。
「いきなり一部上場の監査を振られた時は、2週間、ほとんど睡眠ゼロ。でもそれをやり遂げたら、次からはけっこう“回せる”ようになってましたね」
そんな経験を重ねながら、やがてシニアになり、マネジャーの声がかかったのは、入所8年目のこと。だがここでも、普通に昇格するのをよしとせず、横浜事務所への転勤を願い出た。
「同じ環境に居続けたら成長はない」という思いで転勤した横浜では、監査をやりつつ人事の責任者を務め、さらには事業再生案件まで手がける。
「対象の会社に出向くと、差し押さえ令状がベタベタ貼ってある脇で、歯を食いしばって働いている人たちがいる。そこでも、普通の監査ではありえない経験を数多くさせてもらいました」
そんな川島氏が「ビジネス界に出る」という目標を実行に移したのは、入所10年目の区切りの年である。背景には、やはり「今の組織に安住したら、自分がサビるな」という危機感があった。
「加えて、J-SOXの導入を控え、法人は人をどんどん採用していました。中の競争は一層激化するのが目に見えていた。そもそも会計士の資格って、法人にいればあって当たり前ですけど、外に出れば希少価値として輝くんですよ。そろそろそれを携えて打って出るべきだ、と決断したのです」
新天地に選んだのは、IP(著作権の知的財産)の開発、流通を軸にエンターテインメント事業を展開するディー・エル・イーだった。
「独立も頭をよぎりましたが、まだ他者と差別化できるほどのノウハウはない。だったら、まずは事業会社に飛び込んでみよう、と考えました。大手からもオファーをいただいたんですよ。でも、大企業だとCFOの肩書があっても、中身は経理部長でしょう。管理部門全体を見られる立場でないと、さらにステップアップすることも難しいと思い、断りました。当社の決め手になったのは、事業が面白そうだったことと、人を引き付ける社長の魅力、カリスマ性ですね」
こうして2008年8月、経営戦略統括本部長として迎えられ、3カ月後には取締役CFOに就任する。ただし、最初に直面したのは、入社前に話があったIPOウンヌンではなく“資金繰り”だった。折悪しく入社の翌月、リーマンショックが襲ったのだ。
「毎月、損失に次ぐ損失で、IPOどころじゃない。銀行を走り回って融資を頼み込み、ベンチャーキャピタルにも追加出資をお願いし、ついには自腹で数百万円の出資までしました。すごい“リスクマネー”だから、妻にも内緒のへそくりから捻出です(笑)」
ただし、そんな状況でも「数字を取り繕うのではなく、赤字は一気に落としてしまう」という方針を貫いた。
「監査法人の横浜時代に、再生案件で鍛えられたことが、見事に生きました。あの時、『赤字幅はできるだけ小さく』とやっていたら、会社は消滅していたかもしれない。結局、その期は大赤字だったものの、次の年からはしっかり黒字に転換させることができました」
IPOについても、今年3月に東証マザーズ上場というかたちで、所期の目標を達成した。
「実は昨年2月ぐらいに幹事証券の方と話をしたら、『もう1年、数字を出してからでしょう』という反応だったんですよ。4年前に大赤字を計上してますから、当然といえば当然なんですけど、私には『今期こそいける』という確信があった。だから、『どうしてもやらせてください。ノーなら、証券会社を変えます』と大見得を切りました。それでこちらの熱意も伝わったのでしょう。やると決めてからは、最短のコースを一気に走り切った、という感じですね」
株式会社ディー・エル・イー取締役 CFO 経営戦略統括本部長川島 崇
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