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「変革の時代だからこそ、監査人としての気概、泥臭さみたいなものは、改めて重要だと思う」
公認会計士浜田康事務所
浜田 康
会計士の肖像
髙野総合グループ
総括代表髙野 角司
昨今の、日本経済の最重要課題ともいうべき事業再生。髙野角司は、この領域において、約40年にわたり数々の大型倒産・再生案件に従事してきた業界の第一人者である。実務家がほとんど存在しなかった時代から、弁護士をはじめとする専門家らとタッグを組み、事業再生の道を切り拓いてきた。現在、3法人を擁する髙野総合グループの長として指揮を執るが、業容の柱は大きく3つ。再生、再建、M&A事業評価をサポートするFAS部門、総合的な税務・会計コンサルティングサービスを提供するコーポレート部門、オーナー企業の事業承継や相続対策をサポートする個人資産部門である。いずれにおいても、同グループは大きな実績を残しており、その連携力とノウハウは、総メンバー50名と中規模ながら、大手監査法人や税理士法人をも凌ぐ。
「まさか、自分が倒産関係の仕事をするようになるとは――」。この言葉の背景には、子供の頃、家業が倒産の憂き目に会ったという原体験がある。故郷は、北海道北西部にある増毛町。1950年代半ばまでニシン漁で栄えたこの地から、髙野の軌跡は始まる。
ニシン場の最盛期は、小学生前半の頃だったと思います。漁のシーズンになると、網元をしていた親父のもとに、200人くらいのヤン衆が一斉にやって来てね。うちは、番屋で働くそのヤン衆や、ニシンの加工に従事する作業員たちに食事を提供したり、仕事の手配をしたり、あらゆる世話をするわけです。関係者から出資を募り、日本海を回遊するニシンを定置網で待ち受ける漁と加工、販売までを差配する、海相手の非常にハイリスク・ハイリターンな商売。今でいうベンチャーファンドの走りみたいな感じでしょうか。
400坪ほどの倉庫に、うず高く積まれた米俵の上でよく遊んだものです。「若旦那」なんて呼ばれながら(笑)。自宅では、買い付けのために本州から来た仲買人が、札束を山と積み上げるシーンを目にしましたし、今思えば、いろんな大人に囲まれて特異な経験をしていたんですね。中には筋者もいて、仁義の切り方を教わったこともありました。ニシンを割く包丁を畳に刺して「おひかえなすって」……これ、映画以上に迫力があるんですから(笑)。
一方で、小学校3年の時に担任となった女性教師からも強い影響を受けました。クリスチャンだったから、日頃から「神様はすべてを見ている」と教示する先生で、人間、悪いことをしていると応分の処分を受けるし、逆に善い行いをしていれば報われる。だから「誰も見ていなくても、いいことは進んでやりなさい」と。戦後のすさんだ時代において、こういう奉仕的な考えはインパクトがあった。その後もずっと、私の心に根づいていました。私は無宗教ですけど、軍隊経験のある親父のしつけも厳しかったですし、“きちんとした生き方”という感覚は、早くから形成されていたように思います。
朝鮮戦争が起きた50年以降、ニシン漁は豊漁、不漁を繰り返すようになり、「今年がダメでも来年は」という“賭け”もむなしく、ニシン場は急激に没落していった。髙野の実家が倒産に追い込まれたのは54年。事業支援として、町の商店や銀行などから集めていた買掛金や借入金などは、そのまま巨額の債務となった。保有していた土地や山、田畑といった財産はすべて没収され、言うまでもなく生活は一変した。
ある日学校から帰ると、債権者が家財を持ち出していて、お袋がはめていた腕時計も強引に奪い取っていった光景は、今も忘れられません。小さな田舎町で債務者の立場というのは……肩身が狭いものです。でも親父は、債権者からどんな罵声を浴びせられても、迷惑をかけたことを深く詫び、借金を返済するために全力を尽くしていました。で、掲げた目標が“苦節10年返済”。親きょうだい総出で働いて、最終的には、本当に10年で全額返済したんですよ。倉庫の一部を綿工場に改造し、ボロ衣料を粉砕して“綿に戻す”事業がうまくいったのです。当時、綿は高級品だったので、とても喜ばれたんですね。だから、中学、高校時代は、私も授業が終われば仕事の手伝いばかり。部活動やスポーツなどとは縁がなくて、労働者みたいなものでした。
昔から次々と事業を営んできた親父は、実にたくましいですよ。私なんか、この歳になっても全然かなわない(笑)。半面、低学歴で苦労したこともあって、教育にはものすごく熱心な人でした。貧困のなかにあっても、7人いるきょうだいを大学や専門学校に進学させ、「手に職を持て。自活できるよう資格を取れ」と、常に言っていました。身につけた教育や技術は、例え債権者といえども、差し押さえることはできないとも。それで、司法試験を目指すことになった長姉が中央大学に進学したのを皮切りに、私たちも“芋づる式”に上京していったというわけです。家の手伝いが忙しくて、受験勉強など、ほとんどできなかったんですけどね。
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髙野総合グループ総括代表髙野 角司
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