経済・金融・経営評論家/前金融監督庁(現金融庁)
顧問金児 昭
今回は、私が心から尊敬する3人の会計士の方々の話をしてみたい。おひとり目は私が入社した信越化学工業の顧問税理士(会計士でもある)で、「経理・財務」を指導いただいた原勘助先生。先生は人一倍の努力家で、高校を出た後、国税庁に勤める傍ら、大学の夜間部に通い試験を受け税理士資格を取られた。公認会計士試験に合格したのは、信越化学の担当後。会社に「公認会計士の資格も取りたい」と相談したところ、「だったら、机を貸してあげるよ」と、当時の小田切新太郎経理部長から社内での勉強を許可してもらえたのだ。
そんないきさつもあって、原先生は「会社」の「経理・財務」を誰よりもよく知っていた。事業とはいかなるもので、1円の利益を稼ぎ出すために社員がどれだけの努力を払っているのかを熟知している、稀有な会計士・税理士だった。先生はご自分で原会計事務所を設立し、そうした経験を生かしていくつもの会社の監査などもされていた。
経理部に配属された私は、文字どおり原先生に弟子入りした。税務申告書をつくるのが最初の仕事。「つくる」といっても、会計帳簿から申告書類へ、先生の指示に従って数字を写すだけである。それにどんな意味があるのかも、チンプンカンプン。そんな私がなすべきことは、とにかく愚直に勉強すること。先生のご自宅に押しかけ、泊り込みで教えを請うこともしばしば。会計よりも先に叩き込まれたのが、税務。後に、よく威張る国税当局のお役人と「冷静な理論闘争」をやる術を身につけ、「税務調査を受ける日本一のプロ」と呼ばれるようになったのも、『法人税実務マニュアル』(日本実業出版社)という本を書けたのも原先生のご指導の賜である。
当然のことながら、教えられたのは決して「税務事務作業」だけではない。会社のために、いかに税金を節約するかも「経理・財務」の大事な任務。先生とご相談しながら40年ほど前、“粉飾2歩手前”の経理処理をした。それくらいのことができる経理マンでなければという気構え、戦うための理論・ノウハウも、原先生の教えがもとになっている。
一方、会社の監査は中央青山監査法人(当時)が担当していた。そこの石川義雄先生と、その上司に当たる土肥東一郎先生からは、企業会計、特に財務会計の何たるかを学ばせていただいた。おふたりは、まさに「純粋会計士」と呼ぶにふさわしい人物。石川先生は、ある会社に税務指導を頼まれて「正しい税務・会計」を指導したところ、以前より納税額が大幅に増えてしまったためにクビになったという逸話の持ち主。それが会計士としてあるべき姿勢であることは、論を持たない。だが、「ギリギリまで節税すべし」という原先生の「経理・財務」と、石川先生の「過大な費用処理を許すまじ」の「経理・財務」は、絵に描いたような二律背反。見解のぶつかり合いも珍しくなく、石川先生が「ダメなものはダメだ」と最後まで首を縦に振らないこともよくあった。
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経済・金融・経営評論家/前金融監督庁(現金融庁)顧問金児 昭
1936年生まれ。東京大学農学部卒業後、信越化学工業に入社。以来38年間、経理・財務部門の実務一筋。前金融監督庁(現金融庁)顧問や公認会計士試験委員などを歴任。現・日本CFO(経理・財務責任者)協会最高顧問。著書は2010年1月現在で、共著・編著・監修を含めて123冊。社交ダンス教師の資格も持つ。