青山学院大学大学院
会計プロフェッション研究科教授・博士八田 進二
前回、若い頃訪れた米国で、「会計士という職業が非常にリスペクトされていることに驚いた」というエピソードを紹介した。かの国では、会計士が独立した“プロフェッション”として立ち働き、社会から信頼される地位を確立していた。
残念ながら、日本の“公認会計士業界”の現状は、それとはかなりの差がある。大きな原因の一つは、実は会計および監査制度の“出自”そのものにある。米国などと異なり、日本の会計士制度は自力で勝ち取ったものではない。公認会計士が「専門技術者(テクニシャン)」を脱却し、プロフェッショナリズムを涵養するために様々な努力を払ってきたような歴史も、我が国には希薄である。
第二次大戦後、日本を占領したGHQは、そこに米国型の証券市場構築の必要性を認識していた。そのためには、企業会計の制度を立ち上げ、それを外部チェックする公認会計士が不可欠だ。その意向に沿って、終戦直後の1948年、証券取引法と共に公認会計士法が施行された。我が国の公認会計士は、そんなプロセスのなか、“ゼロベース”で生まれ落ちたのである。
問題なのは、そこに「公認会計士は、他人の求めに応じ報酬を得て、財務書類の監査又は証明をすることを業とする」(第2条)と明記されたことである。これにより日本の公認会計士は、生まれた時から財務諸表の監査を行うことを運命づけられた。とにかく監査を担う人材育成を急がねばならない、という事情がそこにはあったのだが、それは公認会計士の仕事を監査に“限定”させると同時に、彼らがその業務を“独占”できることを意味した。
経済が復興し、監査の需要は増える。監査人は不足しているから常に売り手市場で、競争関係はゼロ。かつては少ない人数で、パイを十分に分け合うことができた。少なくとも昭和の時代までは、公認会計士の資格を取りさえすれば高収入が保証され、悠々自適。そんな状況が続いたわけである。
米国など諸外国では、事情はまったく違う。資格は比較的楽に取得でき、数多くの公認会計士が誕生するのだが、そこからが勝負だ。お互いに切磋琢磨し継続的な教育を受けつつ、優秀な人間は残るものの、そうでなければ容赦なく排除される。監査は、そうやって競争を潜り抜けてきた人間たちに、独占業務として許されることになる。
先ほど述べたように、最初から公認会計士に監査の権利が与えられている日本では、米国並みの努力など必要としない時代が長く続いてきた。競争のない世界は必ず衰退する。
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青山学院大学大学院会計プロフェッション研究科教授・博士八田 進二
慶應義塾大学大学院商学研究科 博士課程単位取得満期退学。博士(プロフェッショナル会計学・青山学院大学)。2005年より現職。現在、日本内部統制研究学会会長、金融庁企業会計審議会臨時委員(監査部会)を兼務し、職業倫理、内部統制、ガバナンスなどの研究分野で活躍。
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