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Accountant's magazine vol.53

-アカウンタンツマガジン-
2019年04月01日発行

会計士の肖像

「それが「是」か「非」か。判断する時は、規程集から答えを探し出すのではなく、 "資本市場の番人"として自分の頭で考えることが大切」

早稲田大学
名誉教授 博士(経済学)辻山 栄子

会計士の肖像

生涯にわたって仕事を続けていきたい。意識高く自立を目指す

大学在学中に公認会計士試験に合格した後、学究の面白さに目覚めた辻山栄子は、以降、研究者・教育者として長い道のりを歩んできた。本人は「古いだけ」と笑うが、なにかにつけ「女性第1号」の冠がつく辻山の存在は、間違いなく会計界における草分けだ。加えて、社会活動にも幅広く携わっている。長く務めた企業会計審議会委員、国税審議会委員を筆頭に、財務会計に関する政府や機関の委員を数多く歴任。なかでも、IFRSの日本導入に際しては、ASBJ(企業会計基準委員会)の初代委員として前線に立ち、そこに潜む混乱や矛盾を鋭く指摘し、論陣を張ってきた。何事にも真っ向から取り組む姿勢と、言葉を濁すことなく意見発信する“辻山イズム”は一貫したもので、古稀を過ぎた今日も健在である。

生まれも育ちも池袋で、実家は旅館とラーメンの製麺工場などを営む商家でした。戦後すぐに両親が始めたもので、商売を切り盛りするのは母、父は裏方という役割分担。親は忙しく、きょうだいも多いからお手伝いさんが何人もいる環境で、私は母の“背中”を見て育ちました。なので、小さい頃から「女性も当然、一生働き続けるものだ」と思っていたし、専業主婦という将来像は頭の片隅にもなかった。でも、封建的な時代ですからね、うちも「二十歳になったらお見合いして結婚しなさい」という感じで、抗ったのは姉妹のなかでも私ぐらい。とりわけ母に似ちゃったのか、異端児でしたね(笑)。

高校は姉がいた女子校の十文字学園に通っていたんですけど、団塊の世代で1学年10クラス以上あったなか、進学クラスは2クラス。それもほとんどが付属の短大に進学するコースです。そもそも、商家の娘が大学に進学するなど極めて稀で、当時の大学進学率は男女合わせても2割程度という時代でした。受験とは無縁だったから、全然勉強せず。もっぱら、友達とあんみつを食べながらおしゃべりする「帰宅部」として、気ままに過ごしていました。

話が変わったのは、高校卒業を控えて将来のことを真剣に考え始めた頃。やはり生涯にわたって仕事をしたいという思いがあり、そのためには「きちんとした教育を受けておく必要がある」と気づいたのです。当初、父は「学問をやってどうするんだ」的な物言いでしたが、基本は放任で、幸いにもお金は惜しみなく出してくれたから、1年浪人して大学受験を目指すことにしました。ちなみに早稲田大学を受験したのは、父が好んでいたからで、どんな道に進むのかはまだ見えていなかったのですが。

もとより、勉強せずとも成績は良かった辻山である。受験勉強は苦にならず、結果は早稲田大学の複数の学部に合格。そのなかで「将来役に立つかな」と考えて選んだのが商学部だった。半ば直観ではあったが、この選択が会計の世界への入り口となった。商学部に在籍していた学生約1600名のうち、女子学生数はわずか1%、16名だったという時代である。

女性の少なさには驚きつつも、大学生活はまさに自由謳歌です。学生運動が活発化していた背景もあり、私は入っていた韓国文化研究会の仲間たちと、けっこうデモにも行っていたんですよ。ただ学生運動といっても、私はノンポリだから特定の政党とは関係なく、是々非々の精神で臨んでいたというか。ひとたび問題意識を持ち、おかしい、間違っていると思うと黙っていられない性分は、この頃からはっきりしていたように思います。

将来どうするか。3年になっていよいよ職業を意識し始めた頃、考えたのは手に職、つまり資格を得ること。まだ女性差別の色濃い時代で就職先は限られており、花形職業といえば外資系企業の秘書くらいでした。それでも、いずれ天井にぶち当たるのは目に見えていたので、資格を取れば長く働くうえで武器になるだろうと。それで会計士試験に挑戦することにしたのです。

予備校はなかったけれど、私は尊敬する恩師・青木茂男先生や、とても力のあるCPA研究会で先輩たちから十分な指導を受けることができた。滑り出しは決して優等生ではありませんでしたが、自分に向いていたのか、次第に受験勉強の調子が上がって、4年の時に挑戦した二次試験は1回で合格が叶いました。合格率5%の時代に現役合格できたのは、ひとえに恩師・先輩のおかげ、環境に恵まれましたね。

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Profile

早稲田大学  名誉教授 博士(経済学) 辻山 栄子

早稲田大学 名誉教授 博士(経済学)辻山 栄子

1947年12月11日
東京都豊島区生まれ
1970年8月
公認会計士
第二次試験合格
監査法人朝日会計社
(現有限責任あずさ監査法人)入所
1971年3月
早稲田大学
商学部卒業
1974年4月
公認会計士登録
1976年3月
東京大学大学院
経済学研究科
博士後期課程修了
1977年4月
茨城大学人文学部
専任講師
1980年4月
茨城大学人文学部
助教授
1985年4月
武蔵大学経済学部
助教授
1991年4月
武蔵大学経済学部
教授
1996年4月
武蔵大学経済学部長・
大学院経済学研究科
委員長
2003年4月
早稲田大学商学部・
大学院商学研究科教授
2004年9月
早稲田大学
商学学術院教授
2010年9月
早稲田大学
大学院商学研究科長
2018年4月
早稲田大学
名誉教授

[社外役員]

三菱商事株式会社(社外監査役)、オリックス株式会社(社外取締役)、株式会社ローソン(社外監査役)、株式会社NTTドコモ(社外監査役)、株式会社資生堂(社外監査役)

[公的活動]

企業会計審議会委員、税理士審査会会長、国税審議会会長、政府税制調査会特別委員、金融審議会委員、公認会計士・監査審査会(CPAAOB)委員、郵政民営化委員、企業会計基準委員会(ASBJ)委員、国際会計基準審議会(IASB)基準諮問会議(SAC)委員ほか多数

[受賞]

租税資料館賞(1992年)、日本会計研究学会・太田賞(1992年)、日本公認会計士協会・学術賞(1992年)、「公認会計士の日」大賞(2018年)

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