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「変革の時代だからこそ、監査人としての気概、泥臭さみたいなものは、改めて重要だと思う」
公認会計士浜田康事務所
浜田 康
会計士の肖像
青山学院大学 名誉教授 大原大学院大学 会計研究科 教授
博士(プロフェッショナル会計学)八田 進二
本誌連載「Opinion」で展開される小気味いいばかりの正論に、膝を叩いた経験のある読者は、少なくないだろう。今年3月、青山学院大学を定年退職した八田進二は、ひたすら研究の現場に身を置くという意味での“学究の徒”ではない。金融庁や経済産業省の審議会メンバーに名を連ねて国政レベルの議論に参加し、社外取締役などとしてエーザイ、NHK、日本航空といった企業組織の改革にかかわるなど、常に社会に向けて会計の重要性を説き、それを実証するスタンスを貫いてきたのだ。ただ、幅広い見識も先見性も、臆することなく“間違い”に立ち向かう人間力も、本人の表現を借りれば、人生の「道草、寄り道、回り道」によって培われたものだった。生を受けたのは、団塊世代のラスト、1949年。そこからの“ワインディングロード”を辿ってみることにしよう。
生まれたのは、都市銀行に勤めていた父親の赴任地だった名古屋でした。姉が2人と兄がいる4人きょうだいの末っ子で育ちました。父は、絵に描いたような真面目人間で、いわゆる“石部金吉”。子供心にサラリーマンというのは、いかにも面白くなさそうだな、と。でも、人が見ていようといまいと、絶対に誤魔化しはダメだっていう公正さ、誠実さは、父に刷り込まれた気がします。母のほうは、一転して楽天家で、好奇心の強い勉強家。大学入試や、最初の会計士試験に失敗した時も、「まあ来年があるじゃない」って。そういう両親に大きな影響を受けたのは、確かでしょう。
小学5年生の時、父の新潟転勤が決まり、今みたいに単身赴任なんてありえないから、一家で引っ越しです。気候は違うし、言葉も違う。「転校生だ」と、若干いじめられたりもした。でも、昔から言い返せるタイプだったから、僕(笑)。自分で言うのもなんだけど、勉強は好きだし、よくできた。3歳上の兄貴と同じことをやればいいというアドバンテージもありましたね。
新潟高校の2年生の時に、父親が今度は東京転勤を命じられて。僕も都立高校に転校かという話になったのですが、希望の進学校に編入枠がない。仕方なく、新潟に一人で残ることにして、新潟大学の学生向けの下宿に「高校生でもOK」と言われて入った。ところが、大学生たちは夜な夜な酒盛り、麻雀で、受験勉強どころではない。結局その後、3回も引っ越して、最後はたまたま高校のクラスメイトの家がやっていた下宿に収まった。親の転勤という“不可抗力”で知らない土地に連れていかれ、いろんな苦労や心細さもありましたが、後から考えるとそれも得難い経験だったと思う。高校時代の仲間たちとは、今でも定期的に顔を合わせて酒を酌み交わしています。
兄は慶應義塾大学の法学部に進学していた。その話を聞いて「法律は面白そうだ」と感じた八田は、同じ法学部、それも東京大学への進学を目標に定める。しかし、68年、現役でのチャレンジは実らず。捲土重来を期して浪人生活を送ったのだったが、翌年、予想もしない出来事に翻弄されることになる。
大学紛争華やかなりし頃。東大でも安田講堂の占拠事件などが起きて、なんとそのあおりで入試が中止になった。その日のために頑張ってきた受験生にとって、「運が悪かった」の一言では済まない事態ですよ。
その時痛感したのは、自分の力ではどうすることもできない“時代の流れ”というものがある、ということです。考えてみれば、制度や仕組みだって、自分と関係ないところで変わる。だからこそ、今年すべきことを来年に延ばしてはいけない、という思考を植え付けられた強烈な体験でした。まさか、後に制度をつくる側になって、そのためにしばしば批判を受ける立場になるなんて想像もしていませんでしたが(笑)。
ともあれ、2浪するつもりは毛頭なかったので、正直「もうどこでもいいや」という感じで、結局、慶應の経済学部に入った。そこが看板学部だからという、ミーハー的な理由です。
そんな状態だから、勉強に身が入るはずがない。特に、必修の経済原論の教師が、テキストを使わずに持論を展開するというひどい教え方で、すっかり“経済嫌い”になってしまった。もしも、当時の慶應経済のエースだった氣賀健三や加藤寛といった先生に薫陶を受けていたら、まったく違うことになっていたかもしれません。
でも、そのことで会計に近づくことになったのだから、人生わからない。進級にヒヤヒヤするような成績だったため、2年になる時、先輩から聞いた“楽勝科目”の中にあった簿記原理を履修。その授業を受けたことが、その後の将来を決めたといっていい。
会計士の資格を持つ教員が最初の授業で言った言葉は、今も耳に残ります。「勉強して公認会計士の資格を取れば、将来儲かりますよ」(笑)。まったく未知の世界だった簿記も、学ぶうちに借方、貸方がピタリ一致するという原理に取りつかれてしまった。このまま会計の道を究めてやろうと、そこで初めて人生の目標らしきものが見えた気がしたのです。
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青山学院大学 名誉教授 大原大学院大学 会計研究科 教授 博士(プロフェッショナル会計学)八田 進二
日本監査研究学会会長、日本内部統制研究学会会長、会計大学院協会理事長、金融庁・企業会計審議会委員(内部統制部会長)などを歴任。株式会社日本政策投資銀行、理想科学工業株式会社、日本航空株式会社の社外監査役、独立行政法人経済産業研究所、学校法人聖路加国際大学、東京アマチュア・マジシャンズ・クラブの監事などを兼務。
主な受賞日本会計研究学会学会賞(1999年)、日本内部監査協会・青木賞(2001年)、日本監査研究学会・監査研究奨 励賞(2010年)、会計大学院協会・会計教育貢献者賞(2015年)、日本会計教育学会・学会賞(2015年)、日本内部監査協会・功労賞(2017年)ほか多数。