The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
株式会社ラクーン
取締役 財務担当副社長 今野 智
配属先は、外資系企業の日本法人や支店などを主なクライアントとする部署だった。上司には外国人がゾロゾロ、監査調書は基本的に英語で書かなければならないという環境だったが、「もともと海外に対する憧れがあったので、いい刺激を受けながら仕事をしている感覚でしたね」と振り返る。
とはいえ、例えば最初から英語力に問題なし、だったわけではない。
「入社して半年くらいの時、着任したての外国人のパートナーと、ある案件を担当することになったのです。青山一丁目の交差点で待ち合わせだと言われたので待っていたら、来たんですね、その人が。ハーレーダビッドソンに乗って(笑)。で、クライアントとのミーティングになったのですが、何をしゃべっているのかまったくわからない。にもかかわらず、終わったら『後はよろしく』と、愛車にまたがって行ってしまうわけです。仕方がないので相手方に電話して、『先ほどは何のお話だったのでしょうか?』と(笑)。まるで落語ですが、鍛えられましたね」
「けっこうスパルタで、上下関係も厳しい職場」で成長も自覚する日々だったが、実は今野氏には「監査法人に骨を埋める気持ちは、最初からなかった」のだという。
「試験勉強を始めた頃から、会計事務所をつくって独立したいと考えていたのです。監査業務よりも、企業経営のサポートがやりたかった」
晴れて公認会計士となった98年春、夢を実現すべく、監査法人を退社する。
「よくしてくれたパートナーには、引き止められました。でも、自分の考えていることを一生懸命話したら、最後は『わかった、頑張れ』と」
転職先に小規模の会計事務所を選んだのは、独立するのに不可欠な税務の知識や事務所のマネジメントのスキルを磨くためだった。
半年後の99年1月、金融関係に強い東京共同会計事務所に移ったことも、今日につながる転機となった。当時は目新しかった証券化などに取り組む事務所で、「メチャクチャ忙しくてメチャクチャ勉強もする」日々を重ねるうち、“独立志向”のエネルギーが別の方向に向かい始めたのである。
「世の中にはネットバブルが到来していて、ITベンチャーの社長が資金調達の相談などに来ていたんですね。そんな人たちの話を聞いているうちに、ベンチャー企業の経営って面白そうだな、と興味が湧いてきた。サポート役ではなくて、自分も“あっち側”に行って実際に会社を動かしてみたいという気持ちが、どんどん膨らんだのです」
2000年、今野氏は意を決して事務所を辞め、就職活動を開始する。
株式会社ラクーン取締役 財務担当副社長 今野 智