会計士の肖像
ピー・シー・エー株式会社
代表取締役社長 CEO水谷 学
水谷がPCAに転職したのは1989年。同年に新設されたシステム企画室の責任者にと請われ、業務システムの開発・設計、情報技術の研究に従事するようになる。PCAとは、転職前から縁があった。創業者・川島正夫氏と旧知の間柄にあった監査法人の代表社員から、「手伝ってやれよ」と声をかけられたことで、水谷はすでに、PCAでエンジニアとして仕事をしていたのである。
監査法人にいながらにしてアルバイトをするなど、今じゃありえませんが、当時は緩かったから。PCAは、川島さんをはじめとする会計士の有志によって設立された会社で、80年生まれ。ちょうど僕が社会人になった年で、“同い年”という縁も感じて。何より、仕事が面白そうでした。創業当時はまだ、社内にエンジニアがおらず、僕としては開拓の魅力があった。その後、「店頭公開の準備に入るので手伝ってほしい」と言われ、監査法人で上場支援をやってきた経験を生かせば貢献できると思い、正式入社を決めたのです。
システム企画室のミッションに据えたのは、先進テクノロジーの追求です。現行製品のリメイクだけでは、せっかく店頭公開しても意味がないですから。「10年先を見据えた未来技術」をテーマに、開発に着手したのがOS/2の財務会計ソフト。これ、すぐには売れなかったのですが、今では当たり前のマウス操作を初めて実現したり、マルチスレッド機能を用いるなど、当時としては、他社が発想しないような非常に先進的なものでした。出展した晴海のデータショウでも驚かれたものです。
業務ソフトとして国内最初の「PCA会計(OS/2版)」を発売したのが92年で、その延長線上でつくったWindows版は、ブームにも乗って爆発的に売れました。会計のスタンドアロン版単品だけで、月に1000本を超える販売数でしたから。PCAが、日本証券業協会に株式を店頭登録したのは、ちょうどこの時期です。
追って2000年、PCAは東京証券取引所市場第二部に上場し、02年、水谷は常務取締役に就任。21世紀に通用する製品、情報技術を先行させるべく「PCA21構想」を掲げ、取り組んだのがERPパッケージ「Dream21」だ。これもまた、水谷にとって印象に強く残る仕事である。
当時SAPが提供していた、多言語・多通貨に対応するERPは、日本の会社が海外で事業展開していくうえで肝になります。そこで、イギリス製のERPと提携し、日本版にしたいと考えたのです。提携はうまくいき、東南アジア圏の販売権を獲得、マレーシアに合弁会社もつくって、01年には発売を開始しています。
ところが、全然売り上げが伸びなかった。価格が200万円くらいで、結局、買えるのは日系企業だけだったんですよ。物価が違うから、アジア圏現地の会社にとっては高額すぎた。加えて、ソフトを使うための現地でのトレーニングが追いつかないなど、我々の思惑とは違う現実にぶち当たり、つまりは失敗に終わったわけです。
しかしながら、ワールドワイドの設計を知ったことで、「ERPは本来、こうしてつくるべき」という“肝”がわかったのです。それ以前、当社ソフトの構造は「帳表を効率的に作成する」ことに観点があったのですが、これからはデータを活用する、いわばデータ中心主義に変えていかなくてはならないと。ヒト・モノ・カネの観点から、新たに構造を定義してつくったのが「Dream21」なのです。まさに、次世代型の本来の会計ソフト。
現在は、競争力を持つ上位製品としてモジュールの拡大が進んでいますが、開発当初は、鳴り物入りで始めたもののバグは出る、開発に時間がかかって、予定していたモジュール数17に遠く及ばないなど、けっこう苦労しました。僕にも孤軍奮闘の時期はあったんですよ(笑)。でも、常に先進技術を取り入れるのがPCA本来の社風だし、「そこまでやるの」というところまで踏み込んで新技術に挑むことが、我々メーカーの使命だと思うんですよ。
ピー・シー・エー株式会社代表取締役社長 CEO水谷 学
[主な役職]
日本公認会計士協会IT委員会XBRL対応専門委員、一般社団法人XBRL Japan理事、社団法人コンピューターソフトウェア協会筆頭副会長、社団法人日本コンピュータシステム販売店協会監事など