会計・経理職の転職専門エージェント > 公認会計士の転職 > アカウンタンツマガジン[Accountant's magazine] > vol.20 > 山崎 彰三(日本公認会計士協会 前会長(現相談役)) - 会計士の肖像
現場で働く会計士の声

Accountant's magazineとは

back
number

Accountant's magazine vol.20

-アカウンタンツマガジン-
2013年10月01日発行

会計士の肖像

「競争相手は世界にいる。"外"で闘える監査法人、会計人をつくっていくことは、今後の日本にとって必須である」

日本公認会計士協会
前会長(現相談役)山崎 彰三

ブラジルの初代駐在員として活躍。培われた国際感覚はのちの礎に

「世界に通用する監査法人をつくる」。等松・青木が設立時に掲げた理念の一つで、事実、日本で最初に米国ニューヨーク州に進出するなど、同監査法人は国際化において先んじていた。元来、海外志向が強い山崎にとって、それは波長の合う話である。「派遣員としてブラジルに行ってくれないか」。そう職命を受け、サンパウロに赴任したのは75年5月、山崎はまだ26歳だった。

三次試験に受かったばかりの人間を行かせるという……私がトップだったら、絶対そんなことさせませんよ(笑)。等松・青木がトウシュ・ロスのメンバーファームになった年で、他国の事務所を含め混沌としていたし、ほかに行く人がいなかったんでしょう。でも、「いずれ海外に出たい」と考えていた私にとっては、早くに機会をもらえた恰好になりました。たまたま大学生の時に、ブラジルのインフレーション会計を学んでいたこともあって、実際に見てみたいという思いもあったし。これも巡り合わせですね。

文字どおりゼロからのスタートです。初代駐在員としての最大の役割は、日系クライアントを開拓すること。私は、あまり営業が得意じゃないのですが、在ブラジル日本人商工会議所に出向いたり、日本語の経済誌に税法の解説文や、いろいろな論文を寄稿したりして、自分の存在をアピールしていきました。「顧客を掘り起こせ」「給料も自分で交渉しろ」ですから、何もわからない当初はまさに暗中模索。厳しかったですよ。お客さん第1号は、かつての東海銀行の現地法人。監査を請け負った最初の仕事は、今でも覚えています。

折しも、日本ブラジル租税条約が改正されるタイミングで、ブラジルに事情調査に来た大蔵省(当時)の役人をフォローする仕事もしましたし、インフレ会計についても、概念的には先進的でも実態が伴っていない現実を知るなど、数々、貴重な体験を得ました。でもやっぱり、新大陸であるブラジルは荒々しいというか、大変な国だったんですよ。「ずっといれば、偉くしてやる」という話もあったのですが(笑)、さすがに帰りたくなって。帰国したのは80年、まる5年が経っていました。

80年代に入ると、好調な経済環境を背景に、日本企業の国際化や情報化が急速に進展する。伴って、監査法人も従来の会計監査だけでなく、新たなサービス提供に向けて業務、規模の拡大を図り、合併による業界再編の動きが活発になっていった。等松・青木も幾度の合併を経て、今日のトーマツがあるが、山崎は、こういった激動の時期を駆け抜けてきたのである。

東京に帰任してから最初に携わったのは、英文財務諸表監査です。今は他社と合併してしまいましたが、ある会社がアメリカの証券市場に上場したいという話があって、私にお鉢が回ってきた。結果は流れてしまったのですが、2年ほどかけて、ずいぶん苦労しながら準備したんですよ。もしうまくいっていれば、その業界では、初めてニューヨーク証券取引所で上場できた案件だったんですけど……。また、株式公開ブームのなか、トーマツもすごく力を入れて、みんな突っ込んでいった時期です。私自身もかなりの数の公開支援業務を担当しましたが、何も下地のない会社を一から指導し、準備を積み上げていく仕事は、非常に手応えのあるものでした。当然ながら通常の監査業務もあり、銀行、流通、保険会社など、様々な業種をクライアントに持ち、猛烈に仕事しましたねぇ。

バブル経済の発生から崩壊までを、まさに“その場”にいる者として、ずっと見てきました。銀行などによる過剰融資は、まさにバブル経済そのもの。数億のシードマネーがあれば何十億も融資する、あるいは土地さえ持っていれば、カネはいくらでも出す。それでゴルフ場をつくりましょう、ビルを建てましょうという話です。融資を伸ばすことが第一義で、与信管理は二の次も同然でした。そんなことがいつまでも続くわけはないから、周知のとおり、崩壊後はおびただしい不良債権が発生したのです。

今でこそ言えますが、当時の銀行の会計には、税法基準以上の貸倒引当金という概念はなかった。だから、回収できなくなるのはわかっていても、貸倒引当金が自分の判断では立てられない。アメリカにはすでに、その会計基準があったのに、日本は全然活用しないで、バブルが崩壊していくのに任せたわけです。「一体、これは何なんだよ」。米国会計基準を勉強していた私には、ものすごくギャップがあったし、こんな会計はないと、この頃の模索は大変なものでした。我々会計士のありようも、問われた時代でしたね。

Profile

日本公認会計士協会 前会長(現相談役) 山崎 彰三

日本公認会計士協会前会長(現相談役)山崎 彰三

1948年9月12日
宮城県仙台市生まれ
1970年9月
公認会計士第二次試験合格
1970年11月
等松・青木監査法人
(現有限責任監査法人トーマツ)
仙台事務所入所
1972年3月
東北大学経済学部卒業
東京事務所着任
1974年9月
公認会計士登録
1975年5月
ブラジル・サンパウロ事務所派遣(第1次)
1983年8月
ペンシルベニア大学ウォートンスクール
ウォートン・インターナショナル・アドバンスト・マネジメント・プログラム修了
1984年1月
社員就任
ブラジル・サンパウロ事務所派遣(第2次)
1991年7月
代表社員就任
2010年6月
有限責任監査法人トーマツ退職
2010年7月
日本公認会計士協会 会長就任
(現相談役)

[主な主な役職]
元国際会計基準委員会(IASC)理事会メンバー(日本代表)、元国際会計士連盟(IFAC)理事会メンバー(日本代表)、元アジア太平洋会計士連盟(CAPA)会長、企業会計審議会臨時委員(現)、財務会計基準機構評議員(現)ほか多数

Accountant's magazine
バックナンバー

Accountants_magazineバックナンバー 学生インターン募集中 PARTNERS

掲載企業抜粋(50音順)

あ行
か行
さ行
た行
な行
は行
ま行
や行
ら行
わ行

ジャスネットコミュニケーションズ株式会社プライバシーマーク ジャスネットコミュニケーションズ株式会社は、「プライバシーマーク」使用許諾事業者として認定されています。


ジャスネットコミュニケーションズ株式会社 職業紹介優良事業者 ジャスネットコミュニケーションズ株式会社は、職業紹介優良事業者として認定されています。

↑ PAGE TOP

© JUSNET Communications Co.,LTD All rights reserved.

新規登録