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Accountant's magazine vol.19

-アカウンタンツマガジン-
2013年08月01日発行

会計士の肖像

「企業は組織であり、人の有機体。個々が担う役割を長所とし、互いに生かし合っていけば、必ず、最強のチームになる」

株式会社ビジネスブレイン太田昭和
代表取締役社長石川 俊彦

「教えながら勉強する」スタイルで、院生時代に第二次試験合格

ラグビーに勉強、そして悪友たちと麻雀にも励みと、まさに青春謳歌。大学受験を意識する段になり、石川は「将来一人前になるために、何か資格を取りたい」と考えるようになった。いずれ、父親の会社を継ぐことになるかもしれないと、電気工事士を意識したこともあるが、石川が最終的に定めたのは公認会計士だった。

学校の長い休み期間は、親父の会社でバイトをしていたので、マンションや工場などを建てる現場にも出入りする機会があったんです。そこで時折、現ナマをそのままやりとりする場面を見かけて、何だかいやな感覚だなって。なので、「俺、跡を継ぐのはやめとくわ」と。親父も執着なく「ええよ」と言う。であれば何か資格を取って、自分の力で生きていこうと考えたのです。祖母には「医者になってくれ」と言われましたが、血を見るのが嫌いな僕には無理。あとは弁護士、税理士、公認会計士と、選択肢を挙げていったなか、名前の長い公認会計士がよさそうに思えた(笑)。資格を取りたかっただけのことで、なんとも単純な話ですよ。

旺文社の本をパラパラめくってみると、横浜国立大学から公認会計士の資格取得者が多く出ていることがわかった。それで受験し、単身、下宿暮らしを始めたのです。余談ですけど、当時の横浜って、まだ下水道設備も整っていなくて、けっこう汚い街だったんですよ。持っていたイメージとは全然違ったので、がっかりしたものです。

ラグビーは2年まで続けていましたが、会計士試験に向けて軸足を移そうと思い、予備校に通うことにしたんです。近くて場所が便利な高田馬場に引っ越して。でも早々に、お金を払って授業を受けるのがバカバカしくなっちゃって、予備校通いは数カ月でやめ。別の会計簿記学校で僕自身が講師となり、教えながら勉強することにしたのです。一挙両得というわけ。担当は簿記がメインでしたが、評判がよかったのか、やっているうちに授業のコマ数がどんどん増えてきて、半分社会人のような生活でした。当時、時給3000円くらいだったでしょうか。会社員の初任給が10万円に届かない時代に、けっこう報酬をもらえて、この頃が一番裕福でしたよ(笑)。

朝11時頃に起きて、まず喫茶店で朝食を取る。それからおもむろにパチンコに行き、得意なものだから5000円、6000円と手に入れる。で、近所の銭湯で風呂に入り、夕方から専門学校で教える。終われば、昼間の軍資金を手にキャバレーで遊び、全部きれいに使いきってしまうと。これが、僕の“標準的な学生生活”でした(笑)。

なかなかの大人っぷりだが、石川は大学3年の時に、税理士試験の簿記論と財務諸表論に難なく受かっており、実力も持ち合わせていた。先輩からは、「それは金メダルというやつで、翌年には会計士試験に合格する一番いいパターンだ」と言われたそうだ。しかし、「俺は受かるんだ」と思って臨んだ第二次試験は、不合格だった。

甘く考えて、怠けたのがいけなかった。大学4年の時だったので、この先どうしようかと。まだオイルショック前で、学生1人に数多くの求人があるような引く手あまたの時代でしたが、僕はすでに稼いでいたし、会社員になってもロクなことはないだろうと思って、結局、大学院に進むことにしたんです。専門学校で教えながら勉強するというスタイルは継続で、再チャレンジした第二次試験に合格したのは、25歳の時でした。

就職先として監査法人はイメージしていなかったんですけど、恩師である大藪俊哉教授が口利きをしてくださって、昭和監査法人(当時)に入所するようにと。「名前は聞いたことがある」程度で、何もわかっていなかったのですが、僕は素直に「はい」(笑)。ただ、公認会計士の資格を正式にもらうには実務補習に就かなければいけないし、当時は第三次試験もあったから、「またえらいことになったな」というのが正直な気持ちだったんですけどね。

で、4月に入所したわけですが、すぐに思わぬ展開に。1カ月あまりで「浜松に行ってくれ」と、出向命令が出たのです。それが、BBS。当時は「ビジネスブレイン昭和」の商号でしたが、もとは、1967年に設立された昭和監査法人の系列企業で、コンサルティングとシステム開発事業を主軸にする計算センターがその始まり。まだ東京には進出しておらず、浜松で事業展開していたのですが、そこでシステム監査に就けと。実は、僕は大学院修了直前の2月に、学生結婚していたので、新居も構えていたんです。そこをすぐに出る話になって、慌ただしいスタートを切ることになったのです。

Profile

株式会社ビジネスブレイン太田昭和 代表取締役社長 石川 俊彦

株式会社ビジネスブレイン太田昭和代表取締役社長石川 俊彦

1951年9月6日
名古屋市東区生まれ
1974年3月
横浜国立大学経営学部卒業
1976年11月
公認会計士第二次試験合格
1977年3月
横浜国立大学大学院経営学科修了
1977年4月
昭和監査法人
(現新日本有限責任監査法人)入所
1981年3月
株式会社ビジネスブレイン昭和
(現株式会社ビジネスブレイン太田昭和)入社
1990年2月
公認会計士登録
1991年6月
株式会社ビジネスブレイン太田昭和
取締役就任
1997年6月
同社常務取締役就任
2001年6月
株式会社ファイナンシャルブレインシステムズ
代表取締役就任
2009年4月
株式会社ビジネスブレイン太田昭和
代表取締役社長就任

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