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Accountant's magazine vol.51

-アカウンタンツマガジン-
2018年12月01日発行

会計士の肖像

「会計士特有の能力と技術を磨き、自分の適性を見極めれば、その先にあるたくさんの未来をつかむことができる」

三優監査法人
会長パートナー杉田 純

会計士の肖像

交通事故に遭ったのをきっかけに、会計士試験を目指す

「経営の役に立ちたい」「IPO支援の専門家になる」――杉田純が会計士として進む領域を定めたのは、20代半ばの頃。監査法人でのインターン時代に、実家の事業が倒産の憂き目にあったことが起点になっている。以来、「潰れない会社づくり」を主題に研鑽を重ねた杉田は、“IPO支援の雄”として名を馳せるまでになった。1986年に興した「監査法人三優会計社(現三優監査法人)」も、数多くの実績から新規上場に強い事務所として名高い。加えて96年からは、世界第5位の会計事務所ネットワークであるBDOの日本のメンバーファームとして、グローバル基準での様々なサービスを提供しており、その実力はBig4に比肩する。「93番目にできたちっぽけな監査法人」をここまで仕立て上げた杉田は、これまで支援してきた経営者たちと同様、自身もまたベンチャー精神を貫いてきたのである。

祖父の代からの商売で、実家は書店と新聞販売店を営んでいました。毎日遅くまで仕事をしている親の姿を見て育ちましたし、私も小学生の頃から手伝いに駆り出されていたので、つくづく小売業は大変だなぁと。絶対にサラリーマンになろうと思っていたんですよ。長男ながら「継げ」という話はなかったので。ただ、親父は自分が医者になりたかったものだから、私には「医者になれ」の一点張り。男子御三家と称される麻布・開成・武蔵中学校のいずれかに入学しろとうるさくて、進学塾にも通っていました。さらに、小学校6年からは、中学受験を前提に越境で転校もしたんです。

これが、人生最初の大きな変わり目。転校先で可愛がってくれた担任が、当時としては珍しいサッカーを教えてくれましてね、そこからはもう夢中になった。とてもいい先生で、中学受験についてもやみくもな進学校選びには反対し、私が好きなことを続けられるよう、サッカーが強かった豊島区立第十中学校への進学を勧めてくれたのです。親父とは一悶着あったようですが、十中は当時の都立小石川高校への進学率が高く、「いずれ東大を目指すにしても、十分に可能性はあるから」と説得してくれた。ここから、私のサッカー人生が始まったわけです。

練習に明け暮れながらも、頑張って勉強したかいがあって、高校は都立と早稲田高等学院の両方に合格したんですけど、選んだのはやはりサッカーの強い後者。その先の早稲田大学には医学部がないから、この段階で、さすがの親父も私を医者にすることをあきらめてくれた(笑)。エネルギーに溢れ、練習にも試合にも存分に燃えた時期でしたね。3年生の時には、あの帝京高校を破って関東3位となり、インターハイにも出場しました。追って私は、当時のAFCユースの強化候補にも入ったものだから、「もしかしたら……」と胸を躍らせたものです。身長があと10㎝高かったら、私の人生は違っていたかもしれません。

早稲田大学第一政治経済学部(当時)に進学した杉田は、出たばかりの高校サッカー部のコーチとして活動を続けていたが、1年生の冬、次なる人生の節目が訪れた。アルバイト先からの帰り道、バイクにはねられるという交通事故に見舞われたのである。幸いにも事なきを得たが、相手は死亡。杉田が会計士を目指すようになったきっかけは、実はこの事故にある。

後から聞いたところ、亡くなった相手は18歳、私と同い年だったんですよ。それがけっこうショックで……。状況としてはこちらが完全に被害者です。でも、互いにはね飛ばされ、田んぼに落ちた私は助かり、アスファルトに叩きつけられた彼は若くして亡くなってしまった。運命を分けたというか、何だか申し訳ない気がして、彼の分までしっかり生きなければと思ったのです。サッカーのコーチを務め始めてからは、緩い大学生活になっていたこともあり、もっと自分を鍛えなければと。それで課した目標が公認会計士試験だったのです。自分を痛めつける、チャレンジするという意味においては司法試験でも何でもよかったのですが、経済学部にいたので会計士を選んだわけです。

まずは珠算塾に入り、小学生と机を並べるところから(笑)。それから簿記を始めましたからね、「道のりは遠い」と思っていたけれど、4年生の時、2回目の受験で第二次試験に合格することができました。覚悟を持っての受験勉強ではありましたが、非常に数の少ない現役合格生になれたのは、運にも恵まれたのでしょう。

この頃、会計学がすっかり面白くなっていた私は、大学院の商学研究科に進むことにしました。ここで師事したのが、会計学者として高名な日下部與市先生です。私のことを目にかけてくださり、いつも「会計士ではなく、君は学者になりなさい」と言われていたので、この頃の私は、本気で学者の道に進もうと考えていたんです。実際、先生によって他大学での教職もアレンジされていましたし。ところが、その日下部先生が病気で急逝されてしまったんですよ……。私はともかく、日本の会計学会にとって大損失の事態でしたね。

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Profile

三優監査法人 会長パートナー 杉田 純

三優監査法人会長パートナー杉田 純

1950年1月23日
東京都荒川区生まれ
1971年9月
公認会計士 第二次試験合格
1972年3月
早稲田大学第一政治経済学部
経済学科(当時)卒業
1972年7月
監査法人サンワ事務所入所
(現有限責任監査法人トーマツ)
1974年3月
早稲田大学大学院商学研究科
修士課程修了
1976年5月
公認会計士登録
1976年6月
公認会計士杉田純事務所設立
(現税理士法人杉田会計アソシエイツ)
1976年12月
株式会社日本シーエムシー設立
(現BDOアドバイザリー株式会社)
1986年10月
監査法人三優会計社設立
(現三優監査法人)
2009年7月
一般財団法人会計教育研修機構
理事( ~2018年6月)
2012年4月
青山学院大学大学院
会計プロフェッション研究科 客員教授
(~2018年3月)
2018年7月
三優監査法人
会長パートナーに就任

[家族構成]

妻、娘2人、息子1人

過去の役職

日本公認会計士協会税制委員会委員(小委員長)
日本公認会計士協会租税審議室税務相談員

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