昨今の日経平均株価のトレンドに対して期待されるような新規のIPO(「初めての(Initial)自社株式の不特定多数の投資家への販売(Public Offering)」、以下、本コラムでは新規株式上場の意味とします)の件数は伸び悩んでおり、この原因として、人材の確保、外部プレーヤーとの契約締結の難航、昨今の上場審査の傾向に対する理解不足が挙げられます。
現在IPO準備中である企業は日本国内で600社程あると推計されますが、年間のIPO件数は2019年で86社と、母集団に対して必ずしも順調とは言い難い状況です。とりわけ急造でIPO準備を行ってきた企業は体制の不備を指摘される等で審査を通過できないという傾向が見受けられ、想定した年度でのIPO達成が困難となっていることが考えられます。
IPO準備は一朝一夕で成し遂げられるものではなく、スケジュール管理しながら計画的に実施すべき事項に対応することにより「急がば回れ」で確実なIPOが可能となり、IPOを目指す企業は自信が不足するリソースの確定と解決策を、スケジュールに落とし込んで対応していくことが求められます。
当コラムでは、各外部プレーヤー(証券会社、監査法人、コンサルタント、VC等)を上手に活用しながら、スケジュール管理を通じて効率的なIPO準備を啓蒙するものであり、より多くのIPO準備企業の理解の一助を目指してまいります。
今回から全12回にわたりお届けいたします。
1.IPOをする目的とは
日本全国に株式会社はおよそ216万社あると推計されていますが、このうち上場企業(TOKYO PRO Market含む)は4,103社、全株式会社に占める割合としてわずか0.2%という狭き門になっております。
日本国内には竹中工務店、サントリーといった企業の中にも上場していない大手企業は存在し、必ずしも大手企業は上場しているとは限りませんが、概ね大規模な事業を展開している企業のほとんどは上場しています。では株式会社にとって上場企業であるということはどのような意味を持つのかといいますと、著者は下記と考えます。
① 上場企業であるというメリットを享受して事業の成長発展を加速できる
② 一般的には上場の意義に精通していない方々でも「上場企業なら安心」ということが社会常識化していることもあり、企業としての社会的信用力を強固にもつことができる
(1)株式を上場するということ
株式を上場している企業とは、すなわちその株式が証券取引所を通じて投資家が自由に売買できる企業のことをいいます。株式の売買は証券取引所に上場していなくても可能ですが、売り手と買い手の条件がマッチしないと売買は成立せず、非上場ではその機会を確保することが困難です。
一方、上場していれば不特定多数の方々が売買に参加することが可能であり、売買の機会は圧倒的に増加することとなります。しかし先述のように日本国内の上場企業は全株式会社のうちわずか0.2%しか存在せず、その理由は唯一、簡単にIPOできないためであり、証券取引所といういわば公的な市場を通じて売買ができるということは取引の対象物となる当該株式が一定レベル以上で信用できるものでなくてはならないからです。
例えば業績が好調であっても事業を営む上で法令に抵触している企業においては訴訟リスクを抱えていたり、現在好調であっても将来的に見通しが立っていない場合には、当該株式が藻屑の泡と消える価値が消滅する金融商品になったりすることも考えられます。そのような株式は市場で売買する資格がないということはお分かりいただけると思います。
ビジネス上のリスクが全く存在しないという企業はありませんが、上場適格な企業はリスクが顕在しないように抑えられており、かつ将来にわたってもビジネスに成長を計画的にできる、すなわち信用力があるという企業に限定して市場で売買が許されているということです。
(2)IPOをする目的は
IPOには様々なメリット・デメリットがありますが、IPOを検討している経営者の皆様におかれては、なぜIPOを目指すのかについて、自身が経営する企業に絶大な社会的信用力を付与するためという高い理想をもち、その上で各論に対処していくということがIPOの王道といえます。
2.IPOのメリット・デメリット
上場企業=社会的信用力という点で企業のメリットは大きいといえますが、詳細には以下のメリットとデメリットがあります。
(1)メリット
① 創業者利潤の獲得
創業時からの株主、特にオーナー経営者は、自社株式を市場に売り出せる機会が得られますので、IPO時及びIPO後の株価にもよりますが多額のキャピタルゲインが実現できます。また相続時に上場・非上場いずれの場合でも自社株式は相続税の課税対象となりますが、上場している場合は相続人が相続した株式を売却することが容易となるため、納税資金を確保することが容易となります。
② 資金調達
IPO後は公募による時価発行増資が非上場当時と比べて容易となり、直接金融による資金調達手段という大きな選択肢を得ることができます。また社債の発行や金融機関からの借入に際しても信用力があることからより有利な条件での間接金融が可能となることもいわれています。
③ 役員・従業員の士気向上
IPOを契機として、「上場企業で働いている」というレピュテーションは構成する役員・従業員にも及び、構成員個人の住宅ローンの査定といった信用力にも良い効果を及ぼすということもあって、士気向上が図れるという傾向も見受けられます。また、自社の財務内容が開示されること、ストックオプション制度や従業員持株会制度などを採用している場合は業績が株価に連動するため構成員の会社への貢献意識が高まることといった経済的理由で意識が向上するということも見受けられます。
④ 優秀な人材の確保
上場制度の仔細に詳しくない方でも上場企業であることへの一般的な安心感があることから、新卒・中途を問わず求人時に優秀な人材が集まる傾向が見受けられます。
⑤ 経営管理体制の強化
IPOを最初に考えるときの大きな目的が特に①創業者利潤の獲得と④優秀な人材の確保である経営者が多いのですが、IPO後に何が自社にとって一番良かったかというアンケートに対して、この「経営管理体制の強化が図れたこと」を挙げた経営者の割合が一番高くなっています。
組織的に経営管理を行える体制を構築することがIPO審査での重要項目となっており、そのためにIPO準備の過程で内部統制や予算管理などの所謂コーポレートガバナンスの構築が必須となりますが、これにより実は自社が計数により透明化が図れたり、状況がタイムリーに把握できるようになったり、経営がスムーズに行えるようになります。
(2)デメリット
① 事務量・事務コストの増加
まずIPOの準備段階で経営管理体制の整備、間接部門の人材の獲得、申請書類の作成といったコストが必要となります。併せて、主幹事証券会社、監査法人といった必ずIPOで必要となる外部関係者へのコストも増加します。またIPO後は投資家保護の観点から投資判断材料として、決算短信、有価証券報告書、四半期報告書といった開示資料の作成が義務となり、株主総会も閉鎖的な非上場企業時代とは異なり会社法に則り招集通知を発送し議決権行使を促さなければならないなど、事務量やコストは大幅に増加することとなります。
自社の決算内容を開示しなければならないことからガラス張りになることをデメリットと感じる経営者もおられますが社会的信用力のためですので、このこと自体をデメリットに感じてはいけないと思う一方で、コストは明らかに増加することとなります。
② 敵対的株主のリスクの増加
市場を通じて株式が自由に売買できるということは、必ずしも好意的な株主ではない方々もその機会が得られるということになりますので、株主総会で悪意的な株主が少数提案権を行使するリスクが生じることとなり、また敵対的買収の機会に晒される可能性も発生します。
③ 社会的責任の増大
非上場段階で社会的責任がないということではありませんが、IPOによって、株価や配当で株主から期待される、不祥事やスキャンダルにより信用が失墜し株価に影響が生じた場合に株主訴訟を起こされる可能性が高まるといったことが考えられます。したがって経営者はじめ上場企業の構成員はオフェンス(業績向上)とディフェンス(リスクの排除)に非上場当時とは比較にならない注意を払う必要があります。
IPOが達成されること自体は企業にとって大変な名誉ですが、筆者の関与している企業の皆様に常に申し上げているのは、「企業にとっての本当の勝負はIPOした後である」ということです。IPOした後は野となれ山となれという考えは投資家はじめ社会の期待を大きく裏切ることとなるため、特にデメリットの部分を十分に検討する必要があります。
先述の通り優良企業と謂われる企業でも上場企業となることを選択していない企業が存在しますので、自社がIPOすることのメリットと同時にデメリットを甘受できるかを理解したうえで選択する必要があります。