東京証券取引所の市場再編が、上場準備企業の市場選択にどのような影響を与えるかを、詳しく説明します。
また、上場準備企業の目線でのTOKYO PRO Market市場とグロース市場の比較、名古屋証券取引所のネクスト市場に上場するメリットをお伝えします。
東京証券取引所の市場再編後、上場を目指す企業の選択肢は?
公認会計士 齊藤 健太郎
東京証券取引所の市場再編が、上場準備企業の市場選択にどのような影響を与えるかを、詳しく説明します。
また、上場準備企業の目線でのTOKYO PRO Market市場とグロース市場の比較、名古屋証券取引所のネクスト市場に上場するメリットをお伝えします。
現在東京証券取引所には、現在グローバル企業が中心の「プライム市場」、国内経済の中核を担う「スタンダード市場」、高い成長性が期待できる「グロース市場」に3つに区分されます。また、それに加えてプロ投資家向けの市場である「TOKYO PRO Market市場」があります。
「TOKYO PRO Market市場」については、後ほど説明しますが、2022年4月までは、市場第一部・市場第二部・マザーズ・JASDAQ(スタンダード・グロース)の4つの市場にTOKYO PRO Market市場がありました。
この60年ぶりの市場の大再編が行われた理由として、東京証券取引所では以下のように説明しています。
1. 各市場区分のコンセプトが曖昧であり、多くの投資者にとっての利便性が低い。
具体的には、市場第二部、マザーズ、JASDAQの位置づけが重複しているほか、市場第一部についてもそのコンセプトが不明確。
2. 上場会社の持続的な企業価値向上の動機付けが十分にできていない。
例えば、新規上場基準よりも上場廃止基準が大幅に低いことから、上場後も新規上場時の水準を維持する動機付けにならない。
また、市場第一部に他の市場区分から移る際の基準が、市場第一部への新規上場基準よりも緩和されているため、上場後に積極的な企業価値向上を促す仕組みとなっていない。
この市場再編により、東京証券取引所へ上場するための基準、すなわち上場維持するための基準が新たに更改・設定されました。そのことが上場を目指す経営者には、大きな心理的な負担となっているようです。
東京証券取引所の市場再編は、上場を目指す企業によっては高いハードルが生じたと感じることも少なくないようですが、それはどのようなことなのか。このことについてもう少し詳しく説明したいと思います。
上場を目指す企業は、上場するためには、売上や利益といった企業の情報を適時・適切に発信できる体制にあることが求められます。これ以外にも社内のコンプライアンス体制が整備されていることが求められます(上場審査の実質基準といいます)。
また、こうした会社の体制以外にも、会社が発行している株式が一定の価値を持っていると認められること、すなわち、上場する株式数や株主数、利益の額といった数値などで形式的に定められた基準(形式基準)をクリアすることが必要になります。
この形式基準が、市場再編によって変更され、上場を目指す企業にとってハードルが高くなっていると感じているようです。
東京証券取引所の市場再編によって、主な形式基準は下記の通りに変化しました。
市場再編により、上場の廃止基準はなくなり、実質的に上場維持基準が引き継がれ内容も変化しています。
市場再編の前後で形式基準を見比べてみると、株主数や収益・業績などはむしろ緩和されています。しかしながら、上場を目指す経営者から見てみると上場維持基準の株式流通時価総額5億円以上、上場時価総額40億円以上(上場10年後になります)という形式基準が、高いハードルに見えるようです。
『週刊 東洋経済』2023年7月18日の東洋経済社の記事(業績不振・不正で「基準不適合」入りの68社リスト東証スタンダード・グロース市場の基準に抵触)では、上場維持基準に抵触する上場企業を2022年4月に新市場区分に移行して約1年が経過した段階で、一覧化してまとめています。
一覧資料を確認すると、実際に流通株式時価総額と時価総額において、上場維持基準が不適合となっているケースが多いようです。
市場再編による形式基準の一部引上げが既に上場している企業に与えている影響は、新たに上場しようとする企業に対しても、新規上場への心理的ハードルを高くしているということは想像に難くはないかと思います。
同記事では“「スタンダード市場への移行、という救済措置が用意されているプライム市場とは異なり、スタンダードやグロース市場の上場企業には、逃げ道がない。例えば3月末決算企業の場合、2026年3月までに基準を満たせない場合は上場廃止基準に該当する可能性があるとして監理銘柄に指定される。その後も基準を満たせない場合は最終的に上場廃止となる。」”(参照:『週刊 東洋経済』2023年7月18日号)と説明しており、こうした上場廃止が懸念される状況に対して、地方市場への上場の可能性を言及しておりました。
実際に、東京証券取引所に上場している企業が、のちに説明する、形式基準がより緩やかな名古屋証券取引所に重複上場している企業が増加している傾向にあるようです。
東京証券取引所の市場再編と時を同じくして、名古屋証券取引所においても市場再編が行われています。
従来、名古屋証券取引所は、「市場第一部」、「市場第二部」、「セントレックス」の3つの市場に分けられていました。2022年4月に市場再編を行い、現在は、「プレミア市場」、「メイン市場」、「ネクスト市場」に再編されました。
名古屋証券取引所の説明によると、見直しにあたってのポイントは下記の通りとのこと。
この中で、ネクスト市場は、将来のステップアップを見据えた事業計画及び進捗の適時・適切な開示が行われ、一定の市場評価を得ながら成長を目指す企業向けの市場として取り扱われるようです。
名証の市場再編において、ネクスト市場においては一部の要件を緩和しています。
ネクスト市場においては、上場維持基準の流通株式時価総額基準や流通株式数基準などにおいては従来から設けておらず、この点に変更はありません。また上場時価総額についても従前から要件に実質的に変更はなく、2億円に据え置かれています。
また、売上高基準として高い成長性を実現するための事業戦略という実質基準を着実な成長性を実現するための事業戦略という形で要件を緩和しています。
東京証券取引所の市場再編に前後して、近年、TOKYO PRO Market市場が活性化しています。2021年11社、2022年に18社、2023年32社、現時点の2024年7月見込まで25社の上場が見込まれており、近年上場銘柄が拡大しています。
TOKYO PRO Market市場は、他の市場と異なり実質的に形式基準というものがありません。
また新規上場を希望する企業の上場審査については、基本的に取引所は行わず、取引所が指定する指定アドバイザー(J-Adviser)が行います。
TOKYO PRO Market市場の隆盛は、J-adviser資格を持った企業のマーケティングによるところもあります。一方で、東京証券取引所の市場再編に伴う形式基準の厳格化がTOKYO PRO Market市場の拡大に影響している側面もあります。
TOKYO PRO Marketに上場を目指す際によく言われることは、上場企業という社会的信用のメリットを享受しつつ、オーナーシップを保持したい、次の市場へのステップアップを図り、さらなる事業の拡大を図りたいなどということではないでしょうか。
グロース市場に行くのは難しいが、上場を目指す経営者にとってTOKYO PRO Marketマーケットならば目指せるという点も経営者は魅力に感じるようです。
しかしながら、TOKYO PRO Market市場は、プロ向け投資家向けの市場であることから、経営者自身が、上場時に株の一部を売却して創業者利益を獲得することなどは困難であるなどのデメリットが存在しています。
また、仮に従業員のインセンティブとしてストックオプションを発行したとしても株式の売買自体が稀です。このことで、ストックオプションを行使したとしても株を売却できるのかという懸念が残ります。
さらに、TOKYO PRO Market市場は、プロ投資家向けの市場であることから、他の市場との同時上場は認められておりません。
TOKYO PRO Marketの上場の後にグロースを目指すという選択肢が考慮されますが、形式基準の引上げ、上場維持困難企業の増加といった状況は上場を目指す経営者にとって、心理的なハードルを高くしております。
上場するハードルが高く、上場を躊躇する経営者も多くいるようです。
そこで、TOKYO PRO Market市場が俎上にあがるようになっているという側面があるのですが、東京証券取引所は、ロンドン証券取引所のAIMを念頭にTOKYO PRO Market市場を置き、長期的には、TOKYO PRO Market市場を他市場との入れ替えを頻繁に行える市場として育てていくことを目標にしております。
市場に上場すると企業のM&Aを行いやすくなるというメリットがあるため、TOKYO PRO Market市場に関するマーケティングが行われてきたということもあるでしょう。
こうした文脈で、TOKYO PRO Market市場とグロース市場は比較されることが多いのですが、企業の成長ステージという点に着目するとTOKYO PRO Market市場とグロース市場の間には、下記のような差が見受けられます。
TOKYO PRO Market市場は、他の市場と異なり実質的に形式基準というものがありません。
上場維持基準への適合のために、時価総額40億円以上、流通株式時価総額5億円以上という両市場に間に存在する差は、想定するよりも大きな乖離ではないかと思います。
特に一般投資家が存在しないという点は、TOKYO PRO Market市場が他の証券市場との同時上場を困難にしているので、グロース市場とTOKYO PRO Market市場の実際の乖離としてはかなり大きいと思います。
グロース市場においては、高い成長可能性を実現させるための事業計画という基準が求められます。こうした「成長可能性を実現させる事業計画」というのは、調達した資金を基に会社の事業を爆発的に成長させることを想定しているものですが、全ての企業に適用されるわけではないということは、少し考えてみればわかることではないかと思います。
こうした点から見ても、TOKYO PRO Market市場の後にグロース市場という流れは、全ての企業に適用されにくく、両市場の間には大きな乖離があるのではないかと思います。
名古屋証券取引所のネクスト市場を見てみると、形式基準は厳格ではなく、取り扱う有価証券も金融商品取引法上の証券として扱われ、売買は個人投資家を中心に行われるというTOKYO PRO Market市場と異なる魅力・メリットがあります。
また、グロース市場のように高い成長可能性を実現させるような事業計画も求められておらず着実な成長の実現が求められています。
名古屋証券取引所側では、ネクスト市場を全国のIPO準備企業に門戸を開き、近い将来の上位市場へのステップアップが期待される次世代の企業向けにネクスト市場を開設していると説明しています。
このため、株式公開を目指したいが、グロース市場への上場を目指すには少し規模が足りない、要件に高いハードルを感じるという経営者にとっては、TOKYO PRO Market市場と名古屋証券取引所ネクストとの比較を行うのが現実的なのではないかと思います。
TOKYO PRO Market市場と比較した場合のネクストのメリット・デメリットは以下のようになると思います。
東京証券取引所の市場再編は、良くも悪くも上場を目指す経営者にとっては、市場への選択肢を狭めた結果となっているかと思います。
またTOKYO PRO Market市場では、上場時の監査期間を、直近1年としており、監査期間が短くて済むというような説明を聞きますが、監査法人の立場からすると、上場準備開始後、体制を整えて、月次を回して、短信を45日以内に作成するといった対応をした上で、比較的早い時期に会計監査の適正意見を出すということは、実務的に躊躇する場面も多くあるはずです。
上場を目指す企業の選択肢としてTOKYO PRO Market市場を考える場合、市場選択の比較対象はグロース市場ではなく、むしろネクスト市場が該当するのではないかと思います。
このため、上場を目指す上において、名古屋証券取引所のネクストという市場もあることを、いったん考慮しておくことも一つのオプションになるのではないかと思います。
横浜国立大学経済学部卒業
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