1.IT化により税理士や会計士はいなくなるのか?
ITによる技術革新の波がわたしたちの生活に急激なスピードで訪れている。
スマートフォンの普及にともない、タクシーの配車や飲食店の予約、日用品の発注といった作業がアプリ一つで手軽にできるようになっただけでなく、AIスピーカーの登場で声による簡単な指示だけで音楽やインターネットに触れたりと、もはやITなくして我々の日常は成り立たない時代へと変貌を遂げている。
我々を取り巻く会計業界においても、クラウドソフトの登場などにより、急激なIT化の流れの中にいる。
英オックスフォード大学でAI(人工知能)などの研究を行うマイケル・A・オズボーン准教授が同大学のカール・ベネディクト・フライ研究員とともに著した『雇用の未来―コンピューター化によって仕事は失われるのか』という論文によると、AI化により、今ある職業のうち、実に702業種もの職業が今後なくなるというのである。これには、我々税理士や会計士も含まれるといわれている。事実として、会計人口は減少傾向にあり、この10年間で税理士試験受験者が約40%、会計士試験受験者が約50%も減少している。
そんな中、IT化により「税理士や会計士がいなくなった国」が世界にはあるという噂を聞いた。それが今回の行き先として選んだエストニアだったのである。
2.ヨーロッパの小国エストニア
(1)エストニアは、どんな国?
エストニアと聞いて具体的な場所をイメージできる人は少ないであろう。エストニアはバルト海とフィンランド湾に接する北欧地域であり、1,500 以上の島々から成り立っている。ビーチ、原生林、多くの湖などの自然環境にあふれた国である。旧ソビエト連邦の一部で、城、教会、丘の上の要塞などが国内に点在しており、首都タリンには、中世ヨーロッパの古い街並みを彷彿とさせる旧市街があり、世界遺産にも登録されている。また、フィンランドの首都ヘルシンキとは高速船の行き来が盛んであり、年間の観光者数は500万人を超えるといわれている。
面積 |
面積約45,000 km²(九州と同程度) |
人口 |
131万人(青森県と同程度) |
首都 |
タリン(首都人口42万人) |
言語 |
エストニア語(フィンランド語に近い) |
GNP |
1人当たりのGDP 約18,000ドル
GDP成長率4.9%(EU平均2.4%) |
平均賃金 |
約1,200ユーロ |
民族 |
エストニア人 69% ロシア系25% |
(2)中世の面影が残る首都タリン
タリンの旧市街地には、石畳の広がる古い街並みが広がっており、三角屋根の色とりどりの美しい建物や石作りの塔、丸い屋根が特徴のロシア正教の寺院、石造りのアーチが連なる小道などが丘の上まで続き、まるでおとぎ話の世界に迷い込んだような錯覚に襲われる。しかも、これらの建物が現役の土産物屋、レストラン、官公庁の施設などとしていまだ使われているのである。
旧市街地から高層ビルが立ち並ぶオフィス街までは徒歩で10分以内。まさに、人々の生活圏に遺跡があるといったようなコンパクトな街である。市内を走るトラム(路面電車)やトローリバスは住民登録を行っている市民であれば無料で利用でき、空港やフェリーターミナルへも10分程度での移動が可能である。日本からの観光客も年間10万人弱訪れる人気観光地の一つである。
3.IT先進国になるまでの過程
IT先進国として有名なエストニアは、行政サービスの99%をオンラインで24時間365日利用でき、インターネット通信サービスSkype(スカイプ)を産んだ国としても知られている。
第二次世界大戦中、旧ソ連に併合されたエストニアはソ連崩壊直前の1991年にソ連から独立しているが、旧ソ連時代、首都タリンにはソ連のIT研究所が多数設けられていたといわれている。
その環境もあってか、市内には数多くのIT技術者が居住しており、独立を回復する中で資源の乏しい小国エストニアにとって、生き残りをかけた数少ない産業のひとつがIT産業であったのだ。
4.電子政府国家と税理士のいらないタックス制度
(1)エストニアのIT事情
EUの中で最もIT化された国であるエストニアは、前述のとおり行政サービスのほとんどがオンライン化されている。15歳以上の国民はエストニア政府が発行した電子証明書(ICカード)の所有が義務付けられており、あらゆる行政サービス(なんと、オンラインでできないことは結婚、離婚、不動産売買の3つのみ。)がこのカードで実施可能となっている。
また、このICカードは、行政サービスだけでなく、運転免許証、健康保険証、鉄道の定期券、銀行カードとしても使うことができ、契約書へのデジタル署名や選挙への投票などにも使われている。
(2)税制面の整備状況
税制面においても2000年から導入されたe-taxの制度により、法人で99.9%、個人で99.8%もの高い割合でのオンライン申告の実績を持つ。個人においてはスマホで簡単に申告納付ができるなど、「誰でも簡単に」できる納税システムの導入により、税収の増加につなげている。
さらに、法人設立についてもオンラインにより平均18分での設立可能であり、この電子政府システムを非居住者向けに開放したe-residencyのシステムには“シンプルで素早い”国外資本の調達を可能としている。そして、このe-residencyによる資金調達を可能としているのが、“シンプル”かつ“解釈や例外の余地がない”税制である。
(3)政府が導入する簡素化された税制
エストニアの主な税金は一律20%のIncomeTax(配当課税)とSocial Tax(社会福祉税)33%、VAT(付加価値税)20%の3つであり、法人の所得に対する課税や相続税や贈与税といった財産に対する課税も行われていない。すなわち、タックスシステムそのものを簡素化する「フラットタックス制度」の導入により電子政府化したシステムに基づく徴収を可能としているのである。これが「税理士のいなくなった国」という言葉の実態である。
5.エストニアに税理士や会計士はいるのか?
(1)ふつうに存在する会計法人
「税理士のいなくなった国」という言葉の実態は見えてきたが、このようにオンライン化が進んだ国で会計士や税理士という仕事は成立するのであろうか?
実際のところ、エストニアにおいても会計法人は存在する。
そこでは、当然のことながら日本と同様に会計や税務に関する書類の作成やコンサルティングを行っている。
エストニアはEUに所属しており、その会計基準は当然のことながら国際会計基準(IAS)に準拠したものでなくてはならない。特に近年では日本と同様に国際財務報告基準(IFRS)への移行が求められてきている。会計基準は世界共通であり、国際舞台においては共通ルールであるのだから、これは当然の話である。
なお、監査対象法人に該当しない法人においても年次報告書(The Annual Report)の提出義務はあるため、会計帳簿の作成は必須である。
(2)なくならない会計・税務業務、会計コンサル業務
また、税務申告も同様である。例えば、エストニアのVATの仕組みは他のEU諸国と同様に毎月の申告納付を行わなければならないことになっている。EU諸国におけるVATの制度は、日本の消費税制度において導入を控えている「適格請求書発行事業者登録制度(日本版インボイス制度)」のモデルでもあり、登録事業者による厳格な申告納税を義務付けた制度である。
すなわち、日本におけるe-taxによる電子申告制度同様、申告業務の簡素化が行われているだけであり、会計業務や税務申告に関する業務の過程に変わりはなく存在するのである。会計事務所もあれば、当然そこで働く人たちもいるということである。
6.世界の会計士・税理士制度を通じ未来を占う
(1)日米会計資格のあり方の違い
ここで、海外における資格制度と日本の制度を比較してみよう。
会計士制度として有名な米国公認会計士(U.S.CPA)は、日本における公認会計士制度と同様に米国各州が認定する資格であるが、米国公認会計士試験では会計や業務における周辺知識であるRegulationやITなど幅広い知識を問われる試験であり、会計業界における入口資格として位置づけられている。日本における会計士制度が資格取得により専門家としての即戦力を求めていることに対し、米国公認会計士制度では取得後の実務実績により専門性を磨くことを求めているという違いがある。
(2)会計プロフェッションが国境を越えて活躍できる未来
また、税理士制度を国家資格として設けているのは日本以外にはドイツと韓国のみであり、他の国ではタックスレポートは弁護士や会計士などが作成しているという状況である。
すなわち、世界市場においては、税理士や会計士という国家資格の有無に関わらず、その活躍のフィールドは広がっているのである。
会計基準は世界共通ルールである国際財務報告基準(IFRS)の導入に向け、各国が模索している途中にある。
また、税務においても多国籍企業における課税逃れの実態からG20の要請による「BEPS(税源浸食と利益移転)行動計画」に沿って国際的にBEPSに対応していくための対応策が議論されており、日本においてもこれに沿った税制改正が行われている。
会計、税務を取り巻く世界が今まさに一つの国際基準に向かって走り始めた段階といえよう。これは、すなわち、会計業界に身を置く誰もが国境を越えて活躍できる未来が待ち受けていることを意味するのではないだろうか。
7.AIによるテクノロジーの発展と会計制度の未来
(1)AI化(RPAの導入)により、近い将来の会計業務
テクノロジーの発展に伴い、さまざまな業務はAIにより代替可能といわれている。
ホワイトカラー分野においても、海外の安い人件費を背景としたBPO(Business Process Outsourcing)からAI化の初期段階であるRPA(Robotic Process Automation)への移行過程にあるといわれている。
このRPAは、ホワイトカラーの間接業務を自動化するテクノロジーであり、業務プロセスを標準化し、ルール化することで単純なバックオフィス業務を自動化することを可能とする技術である。これにより、近い将来、仕訳入力作業などの定型業務はかなり効率化されるであろう。すなわち、これは定型の仕訳入力作業を業務とするキーパンチャーとしての業務は必要となくなることを意味する。これこそが、AI化により仕事が奪われる未来の実態である。
(2)なくならない「会計人の役割」
しかし、これには業務の定型化を行うための判断やルール付けを行う者が必要であり、AIの最終型である分析や選択肢の提案が行われても、その意思決定をするのは人間である。
これまで必要とされてきた単純労働がなくなるのは、会計人口に関わらず、世界全体として人口減少が見込まれる現代において、必然なことといえよう。
その中で、会計業界はより国際標準が求められ、その知識は日本だけでなく、世界中で求められる共通知識として昇華していく時代になるであろう。
図らずもエストニアにおける電子政府国家制度は、日本におけるマイナンバー制度のモデルであり、日本においても2020年代を目途にエストニア型の電子政府国家へと舵を切り始めている。エストニアの今は、日本における数年先の未来の世界なのである。
8.まとめ
わたしの好奇心に端を発した旅であったが、税務申告が簡略化されIT化が進んだ社会であっても会計事務所は存在し、そこで働く人たちも日本と変わらずにいることがわかったのは収穫であった。
ただこの記事で述べたように、仕訳入力などの定型業務や単純労働は、ITにとって代わられる未来が見えてきている。これから人口減少が進む日本で会計・税務を仕事にする我々は、この状況をマイナスに捉えるのではなく、生み出せる付加価値が何なのかをそれぞれに考えていく必要があるだろう。
エストニアで活躍する税理士や会計士たちの現実は、この日本で会計業務に携わる我々にとってヒントになることは間違いないと思われる。国際化と標準化、これにより知的領域における会計業界の活躍のフィールドは無限に広がる未来が待ち受けているのである。