第3章 価格戦略

第3章 価格戦略

【ケース】顧客からの値下げ要請。それでも売るか?

1.顧客からの値下げ申請

「斎藤君、じゃあ行こうか」

そう声を掛けたのは経営企画室長だった。
今日は月例の役員会の日だ。経営企画室長は、斎藤を役員会に同席させようと声を掛けたのだった。

「私のような若輩者が出席しても何も分からないと思いますが。」

そう言う斎藤に経営企画室長は笑って答えた。

「ハハハ。最初は誰だって役員会レベルのことなんか分からないもんだ。それでもいいんだよ。何事も経験だ。それに、経営企画室の一員としては、役員会がどういうものかを知っておくことは必要なことだからな」

「分かりました」

そう言うと、斎藤はいそいそとノートを抱えて、室長と役員会議室に向かい、会議室の隅に置かれた椅子に座った。
役員会が始まると、まずは各部門長から前月の月次決算の報告がなされた。それが一通り終わったときだ。

「社長。ちょっとよろしいでしょうか」

発言の主は営業担当役員だった。

「実はこの場を借りて、ご意見を伺いたい件がありまして」

「ん?なんだね」

「現在話を詰めている中国の件なんですが」

「あぁ、営業の君たちが新しく売り込んでいた中国企業の件か」

「はい。そうです」

「どうだ?先方はウチの製品に関心を持ってくれたか?」

「はい。是非ウチの製品を使いたいと」

「それはよかった。新たな顧客開拓だな」

「そうなんですが、実は1つ問題がありまして」

「なんだ?」

「先方は1個70円で売って欲しいと言って譲らないんです」

「70円!?この製品の製造原価はいくらだ?」

社長は製造担当役員に聞いた。

「えーと・・・1個80円です」

製造担当役員の答えに他の役員はざわついた。

「それじゃあ原価割れじゃないですか。ただでさえ業績が悪化している現状において、赤字になることが分かっている商売はないでしょう」

すかさず発言したのは経理担当役員だった。
他の役員たちも「そうだ、そうだ」と言わんばかりにうなずいた。斎藤の前に座っている経営企画室長もうなずいている。

「それ以上の金額では売れないのかね?」

社長が改めて聞いた。

「はい。中国は価格競争が激しいですから。品質は劣りますが、さらに安い価格で同じような製品を提供する中国企業はかなりいますし」

「そうなるとそれ以上の価格は難しいか」

社長のその発言を受けて、経理部長が改めて言った。

「やっぱりこの商談はなしですよ。いくら売上が上がっても、利益が出ないんじゃしようがないですから。特に、今の当社で赤字の商売をやる余裕はありませんよ」

経理担当役員のダメ押しの発言に、営業担当役員も「そうですよね」とか細い声でつぶやいた。

2.原価割れならダメなのか

「あのー、本当にそうでしょうか?」

その声に、経営企画室長は驚いて振り返った。声の主は斎藤だった。

「斎藤君、何を言い出すんだ。原価割れで売ったら赤字を垂れ流すだけだろ。いいから今日は黙って聞いてなさい」

経営企画室長は慌てた。

「すいません。ウチの斎藤が余計なことを…」

他の役員に向かってそう言う経営企画室長を社長が遮った。

「いやいや、構わんよ。せっかく同席してるんだ。黙って聞いているだけじゃつまらんだろ。是非若い人の意見を聞かせてくれ」

「え、いやー、あのぅ…」

あたふたする経営企画室長をよそに社長は続けた。

「斎藤君と言ったね。君はさっき『本当にそうでしょうか?』と言ったが、それはどういうことだね?」

優しく微笑みながら、社長は斎藤に改めて聞いた。

「はい。製造原価の内訳が分からないと即断はできないかと思いまして。ざっとでいいので、製造原価の内訳を教えていただけないでしょうか」

「製造原価の内訳?製造担当役員、どうだね?」

「はい。えーとですね…直接材料費が50円、直接労務費が5円、製造間接費が25円、それで合計80円です」

斎藤は製造担当役員にさらに質問をした。

「中国企業に対応するために、生産能力の増強は必要ですか?」

「いえ、人的にも設備的にも現在の生産能力の範囲で対応できますね。現在、生産能力には余裕がありますから」

それを聞いた斎藤は社長に向かってきっぱりと言った。

「それならば、中国企業には売った方がいいですね。売った方が利益は増えます」

社長は身を乗り出してきた。
その表情からは先ほどの笑みが消え、すっかり真剣な面持ちだ。

「原価割れなのに売った方が利益が増える・・・。どういうことかね、斎藤君」

「はい。1個当たりの製造原価が80円という言い方をすると、1個製造するごとに80円のコストがかかるように思えてしまいます。
しかし、製造原価のうち直接労務費と製造間接費は製造量に関わらず総額は一定の固定費です。したがって、1個追加的に製造しても、その分の費用が増えるわけではありません。1個追加製造した場合、それに伴って追加的に発生するのは、変動費である直接材料費の50円だけです

「なるほど。確かにそうだ」

「中国の顧客に対して1個70円で売るとすると、1個につき売上の増加は70円、コストの増加は50円です。ということは、中国の顧客に対しては、売らないよりも売った方が70円-50円=20円だけ利益が増えるということです。つまり、売った方がいいということです」

斎藤の理路整然とした説明に他の役員も聞き入った。
その沈黙を破るように社長が言った。

「わかった。よし。中国企業には70円で売ることにしよう。みなさんもいいですね」

他の役員も何度も大きくうなずいた。

「ところで斎藤君」

「はい。なんでしょうか社長」

「さきほど説明してくれたあの考え方は君のオリジナルかね?」

「いえ。違います。売上高から変動費だけを引いた利益を限界利益といいます。限界利益がプラスならば、やらないよりやった方が利益は増えるという管理会計の基本に従って考えてみただけです」

【解説】追加受注の意思決定

1.原価割れでも売ったほうがいいワケ

今回のポイントは、中国企業という新たな顧客に対して、やるかやらないかをどのように判断するかということです。
そして、そのときに重要になるのが限界利益という利益概念です。

本章で問題になっている中国向け半導体製品の1個当たり製造原価は次のようになっています。

直接材料費50円、直接労務費5円、製造間接費25円、合計80円

製造原価は1個80円ですから、これを70円で売ったら原価割れです。売上総利益、いわゆる粗利の段階でマイナスになります。

多くの人は、粗利がマイナスだと、売れば売るほど赤字の上塗りになるだけだと考えます。したがって、粗利がマイナスの商売はやめるべきだと考える人が多いようです。

しかし、それは財務会計的な考え方です。今回求められているのは、値下げ要求を飲んでまで新規顧客に売るべきなのかどうかという意思決定です。

意思決定とは、複数の選択肢から1つを選ぶプロセスです。ですから、何が選択肢になっているのか、言葉を換えれば、何が比較対象になっているのかを明確にすることがまず重要です。

ここでの比較対象は、言うまでもなく新規顧客に販売するかしないかです。この2つの選択肢を比較して、売上高と費用にどのような違いが生じるかを図1で考えてみましょう。

図1新規顧客に販売するか否か、販売しない場合の売上高0円販売する場合の売上高70円その差額は70円、販売しない場合の直接材料費0円販売する場合の直接材料費50円その差額は50円、販売しない場合の直接労務費不変販売する場合の直接労務費不変その差額は0円、販売しない場合の製造間接費不変販売する場合の製造間接費不変その差額は0円、合計の差額は20円

新規顧客に販売すれば、満足できる価格ではないかもしれませんが、それでも1個につき70円の売上が得られます。それに対して、販売しなければ売上はゼロです。

直接材料費は、販売するならば1個につき50円が追加的に発生します。販売しなければ、中国向け製品は作りませんから、追加的に発生する直接材料費はありません。

問題は、直接労務費と製造間接費です。

ケースによれば、生産能力には余裕がありますから、中国の顧客向けの取引が始まっても、直接労務費と製造間接費は増加しません。つまり固定費です。

ということは、直接労務費と製造間接費は新規顧客に販売してもしなくても変わりません。変わらないということは、直接労務費と製造間接費は第3回目で解説した埋没費用です。

以上をまとめると、新規顧客に販売するかしないかによって、売上高と費用には図1のような違いが生じます。そして、販売しないよりも販売した方が1個につき20円の追加利益が得られることが分かります。

ということは、売らないよりは売った方がいいということです。

これがケースにおいて斎藤が言っていたことです。

2.限界利益・貢献利益

新規顧客に販売することによって得られる利益20円は、売上高から変動費である直接材料費だけを引いて計算されています。この利益を限界利益といいます。式で書くと、以下の通りです。

売上高-変動費=限界利益

限界利益の「限界」はちょっと分かりにくい言葉ですが、ニュアンスとしては「変動的、追加的な利益」と捉えておくと分かりやすいと思います。「変動的」の意味するところは、「売上高の変化に対して正比例する」ということです。

限界利益が1個につき20円、すなわちプラスということは、「売らないより売った方が、変動的、追加的な利益がプラス」ということです。そうであるならば、売らないより売った方がいいということになります。

限界利益と同じ計算式で計算される利益を貢献利益ともいいます。

売上高-変動費=貢献利益

貢献利益とは、「固定費の回収に貢献する利益」という意味です。

直接労務費や製造間接費などは、人を雇用し設備を抱えたことによって固定的に発生する固定費です。それは、人や設備が十分に稼働しているかどうかに関わらず、会社内部にドーンと横たわっている費用です。この固定費を、各製品個別の利益が協力し合って回収に貢献しているというのが貢献利益のイメージです(図2)。

図2貢献利益のイメージ

新規顧客への販売する場合、1個当たりの貢献利益が20円、すなわちプラスということは、新規顧客に販売すれば少なくとも固定費の回収には貢献するということです。そうであるならば、新規顧客には売らないよりは売った方がいいという判断が成り立つわけです。

3.限界利益・貢献利益マイナスの意味

先ほども述べたように、一般的には原価割れになったらそのビジネスはやめるべきだと考える人が多いようです。

しかし、前節の結論は、限界利益がプラスならば、原価割れであっても必ずしもやめる必要はないということでした。原価割れでやめてしまうのは早すぎるということです。

では、どういう状態になったらやめるべきなのでしょうか。

それは、限界利益または貢献利益がマイナスになったときです。何らかの理由で、それでもやり続けるという判断はあり得ますが、少なくとも利益の観点からいえば、限界利益がマイナスの状態でやり続ける経済合理性はありません。

なぜならば、限界利益がマイナスということは、やればやるだけ追加的・変動的な利益がマイナスということだからです。これが本当の「やればやるほど赤字の上塗り状態」です。

貢献利益で説明するならば、貢献利益がマイナスとは、新しい何かをやっても固定費の回収に貢献しないどころか、それによって新たな損失を発生させることを意味します。

このことから分かるように、本当のやめどきは限界利益または貢献利益がマイナスになったときです。経済合理的に考えて絶対にやめるべき条件は、限界利益または貢献利益がマイナスになったときです。その意味で、限界利益・貢献利益は撤退条件の判断指標になるといえます。

4.原価割れの意味

では、原価割れの意味は何でしょうか。ここまで理解して初めて正確な理解になります。

図3売価と費用の関係

図3は売価と費用の関係を表したものです。売価が原価を上回っている一番上の領域が原価割れになっていない状態です。利益でいえば、粗利も貢献利益もプラスです。

原価割れにはなっているが変動費は上回っている真ん中の部分が本ケースで問題になっている状態です。粗利はマイナスですが貢献利益はプラスになっています。

一番下は売価が変動費も下回っている領域です。粗利も貢献利益もマイナスです。

それぞれの違いは固定費の回収状況の違いにあります。一番上の原価割れになっていない状態は、予定した数量すべてを売り切れば固定費の全額を回収できる状態です。それが原価割れしていないことの意味です。

それに対して、真ん中の原価割れだけれども貢献利益がプラスの領域は、固定費の回収には貢献はしますが、全量売っても固定費の一部しか回収できないのです。一番下の部分は、固定費を一切回収しません。

ということは、ベストなのは原価割れしていないことなのです。何らかの理由でそのベストの選択ができないときに、「売らないよりは売った方がいい」という次善の策が「貢献利益がプラスなら売る」ということです。

ですから、限界利益・貢献利益は撤退条件には使えても継続条件には使えません。「限界利益または貢献利益がマイナスならば、やめるべき」とは言えますが、「限界利益または貢献利益がプラスならば、やるべき」とは言えない のです。

次回は、「損益分岐点」についてご説明します。


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執筆者プロフィール
金子 智朗(かねこ ともあき)
  • コンサルタント、公認会計士、税理士

1965年生まれ。東京大学工学部、同大学院工学系研究科修士課程卒業。日本航空(株)において情報システムの企画・開発に従事しながら、1996年に公認会計士第2次試験合格。プライスウォーターハウスコンサルタント等を経て独立。現在、ブライトワイズコンサルティング合同会社代表社員。

会計とITの専門性を活かしたコンサルティングを中心に、企業研修や各種セミナーの講師なども多数行っている。名古屋商科大学大学院ビジネススクール教授も務める。

著書

『MBA財務会計』(日経BP社)

『「管理会計の基本」がすべてわかる本』(秀和システム)

『ケースで学ぶ管理会計』(同文舘出版社)

『新・会計図解事典』(日経BP社)

など多数。

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