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Accountant's magazineとは

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Accountant's magazine vol.45

-アカウンタンツマガジン-
2017年12月01日発行

会計士の肖像

「会計士は、数字をとおして 経営全体を知ることができる。 "会計の本質"をものにすれば、 活躍の場は無限である」

日本イノベーション融合学会
理事長髙梨 智弘

会計士の肖像

大学3年で腕試し受験。慶大卒後、早大院を経て会計士試験に合格

日本総合研究所フェロー、自治医科大学客員教授、慶應義塾大学SFC研究所上席所員――。名刺の表に刷られただけでこれだけある髙梨智弘の〝役職〞は、十指に余る。しかも一瞥しただけでは、それらの底流に公認会計士というバックボーンのあることを類推するのは困難だ。裏を返せば、その姿は会計士という職業の大いなる可能性を体現しているといえるだろう。ところで、髙梨の実家は乳業準大手のタカナシ乳業。誕生したのは「日本が平和になった1日目」だった。

生まれたのは1945年8月16日、終戦の翌日です。母親が玉音放送でショックを受けて、早産だったっていう話なんですが(笑)。家は神奈川の横須賀にありました。周囲に日本海軍の工廠などがあったのですが、米軍は日本を占領してからそこを利用しようと考えていたので爆撃しなかった。おかげで古い町並みもうちの牧場も戦前のまま残りました。そんな環境ですから、日本中食糧難という時に、牛乳とバターだけはふんだんにあった。同年代の人たちが経験した、焼野原、バラック、疎開生活などとは無縁に育ったわけです。それが100%いいことだったのかは、わからないですけれど。

中学の時に始めたのが、ハンドボール。慶應高校ではキャプテンでした。高校になって、長身で手足が長いからってキーパーをやらされましたが、「韓国遠征の代表選手にどうか」と誘われたくらいの実力ではあったんですよ。でも、慶應義塾大学に進学してすっぱりやめました。入学式で、当時の高村象平塾長が、「福澤諭吉先生が『独立自尊』と言っているだろう。君たちも〝寄らば大樹の陰〞ではなく、自分自身が世の中に役立つ存在であれ」とおっしゃったのです。普通なら「まあ塾長の挨拶だから」で聞き流すかもしれないけど、僕は違った。真に受けて「大学生になったのだから、真面目に勉強しないといけない」と決心したわけです。他人の言うことを素直に受け止めるタイプなんですね。言い換えると、思い切り周囲に影響されやすいということでもあるのですが(笑)。

ただし、決意の下にハンドボールと縁を切ったものの、学業でめきめき頭角を現し、とはいかなかった。3年に進級して教務課に就職相談に行くと、「あなたの成績だと、希望する金融機関でも大手は無理でしょう」と言い渡されてしまう。どうしたものかと思いを巡らせるなか、将来を決定づけたのは、やはり〝他人〞の一言だった。

友人に、高校時代の部活仲間で慶大に進学した、大手銀行の常務の息子がいたんですよ。彼と就職の話をしていたら、「これからは会計士だ」と言うわけ。当時、いろんな企業不祥事が起こっていて、彼の父親の銀行でも会計監査が厳しくなっていた。それを実感した父親に、「会計士が必要とされる世の中になる」と言われたそうなのです。「司法試験と同じくらいの難関らしいけど、一緒にやらないか」と誘われ、二つ返事で「そうしよう」と。

大手は難しくても、〝慶應ブランド〞があればそこそこの会社には就職できたはずです。にもかかわらず、後先考えずによくそんな決断を、とも思うのだけど、その手のチャレンジ精神は昔から旺盛だったのです。決めたら行動は早い。まずは簿記をやろうと、大学のゼミはパスすることにして、授業が終わると経理学校に直行する日々が始まりました。これは真面目にやって、在学中に日商簿記検定の1級まで取った。最後は「簿記の神様」とまで言われたくらい、成績は良かったんですよ。

実は、会計士試験は大学3年の時から受験しました。まだ手も付けていない受験科目があるのに、です。簿記ができたので甘く見ていた部分もあるのですが、〝場慣れ〞も必要だろうという読みもあった。そんな理由で天下の会計士試験を受けないよね、普通(笑)。

案の定1度落ち、2度目も不合格。だらだら浪人するわけにもいかないと卒業後に決めたのが、早稲田の大学院への進学です。「慶早戦」のライバルだから、当時はこれも普通じゃなかった。でも、早稲田の商学部には佐藤孝一先生という会計学の大家がいて、カリキュラムも充実していたんですよ。

このチャレンジも当たりました。授業内容は秀逸で、69年、4回目のトライで公認会計士第二次試験に合格。余談ながら、こうした経緯もあって、僕は公認会計士の三田会と稲門会の両方に所属したんですよ。もともと一つところに固まるのが嫌で、傍から見ると奇妙なハイブリッドも全然気にならない。実際、こうした人脈の広げ方は、後に大いに役立ちました。

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Profile

日本イノベーション融合学会 理事長 髙梨 智弘

日本イノベーション融合学会理事長髙梨 智弘

1945年8月16日
神奈川県横須賀市生まれ
1968年3月
慶應義塾大学経済学部卒業
1969年3月
早稲田大学大学院会計学科中退
1969年11月
公認会計士第二次試験合格
1970年4月
アーサーヤング公認会計士
共同事務所東京オフィス入所
1975年5月
公認会計士登録
1975年9月
同事務所 シカゴオフィス赴任
1979年1月
同事務所 香港オフィス赴任
1983年4月
ハーバード大学ビジネススクール
AMPコース修了
1986年7月
アーサーヤングコンサルティング株式会社
代表取締役社長
1993年7月
朝日監査法人(現有限責任あずさ監査法人)
代表社員
1994年4月
朝日監査法人
朝日アーサーアンダーセン
事業部代表
1995年4月
株式会社日本総合研究所 理事
1999年6月
ITコーディネータ協会 理事
2001年7月
日本経営品質学会 専務理事
2004年7月
日本ナレッジ・マネジメント協会
理事長
2014年4月
日本イノベーション融合学会
理事長

※ほか様々な公的・民間団体・組織の役職を歴任
教職など

東京CPA専門学院副学院長・講師/成蹊大学経済学部、関西学院大学大学院MBAコース、法政大学エクステンションカレッジ、神戸大学大学院経営学研究科、明治大学リバティアカデミーの非常勤講師/新潟大学大学院MOT特任教授/アメリカパテント大学大学院教授/慶應義塾大学SFC研究所上席所員など

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