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Accountant's magazine vol.43

-アカウンタンツマガジン-
2017年08月01日発行

会計士の肖像

「「人間、一生勉強 」。知的好奇心を失わず、常に知識を吸収し続けること。それがプロの生命線である」

ひかりアドバイザーグループ
最高経営責任者光田 周史

会計士の肖像

父親に負けたくないという思いから、会計士試験に挑む

京都市中京区に本拠を置く「ひかりアドバイザーグループ」。率いる光田周史の姓から採った〝ひかり〞というブランドの下には、多様な専門家が集う。母体の税理士法人を核に、司法書士法人、社会保険労務士法人、監査法人など7法人から成るプロフェッショナル集団は、その総合力を駆使し、企業のあらゆる経営課題を解決するワンストップサービスを提供している。もとより独立心の強い光田は、早くから旧態依然とした税理士・会計士業界のありように問題意識を持ち、常にクリエイティビティを求めてきた。自ら進んで仕事に取り組み、その経験から会得したスキルと知見を、すべて力に変えてきたのである。今日の強さを形成しているのは、その確かな歩みだ。

京都生まれとはいえ、国税庁の職員だった親父の仕事の関係で、住まいは東京や大阪などを転々。何度も転校を経験し、入った学校と出た学校が同じなのは高校が初めてなんですよ。京都に戻って落ち着いたのは中2の時ですが、それは親父が役所を辞めて税理士事務所を開業したから。それまで毎日出勤していた親父が、ある日を境にずっと家にいるようになったものだから、てっきりクビになったのかと(笑)。

そのうち自宅の応接間に机が入って看板も掲げられたのですが、子供には「税理士って何や?」という話です。ほどなくして駅前のテナントビルに構えた事務所には、お袋も手伝いに通っていたので、妹と二人、いわゆる〝鍵っ子〞状態。親がどんな仕事をしているのか、全然わかっていませんでした。

当時の京都の公立高校って、実質的には受験がなかったのです。「15の春は泣かせない」という政治スローガンの下、過度な受験競争を避けるための選抜制度が採られていた時代で、要は小学区制。住んでいる場所で「君は、この高校」と進学先が決まっているから、皆のんびりしていて、受験勉強も競争もほとんどなしですよ。僕が進学したのは府立乙訓高校なんですけど、〝中学持ち上がり〞みたいなものだから、周りの顔ぶれはほぼ同じだし、のんびりムードもそのままでした。

そんな環境で勉強もせず、夢中になっていたのが写真です。当時は今と違って銀塩のフィルムカメラでね、部室の暗室で現像から引き伸ばしまでしていました。好きな撮影テーマは風景のなかに鉄道が写り込んでいるもので、あちこち出かけては撮るのが楽しかった。将来のことなど、まだ何も考えていなかったし、何とものどかな高校生活を送っていたというわけです。

父親から国立大学に入るよう言われていた光田だが、理科系の科目が苦手だったことに加え、真剣に受験勉強を始めたタイミングは「時すでに遅し」。臨んだ京都大学受験は合格叶わず、かといって浪人する気にもなれなかった光田は、同志社大学経済学部に進学する。「会計士を目指す」と決めたのは、大いに羽を伸ばした後の話だ。

ここから楽しい大学生活ですよ。女の子と遊んでばかり(笑)。というのも、同志社はエスカレーター式だから、内部進学してきた学生は結束が強く、遊びもよく知っている。同じ18歳とは思えないような奔放さに、「僕は人生損してきた」と思うほどカルチャーショックを受けまして。そういう仲間と付き合うことで、ちょっとでも追いつこうと熱心に遊んでいました。

とはいえ勉強のできる連中もいて、要領のいい僕は二股かけていました。その縁で入ったのが、当時、一番優秀で厳しいとされていた金融論のゼミ。金融業界が花形だった時代の話ですから、金融を勉強しておくのも悪くないと思って。当然のように、ゼミの大半の学生たちは金融機関への就職が大前提で、都銀に入れば〝就職大成功〞みたいなムードです。けれど僕には、それがどうにも魅力的には映らず……就職活動に身が入らないままでした。

ならば将来どうするかと、真剣に考え始めたこの頃に浮上したのが、公認会計士試験への挑戦でした。それまでも、漠然と「何か国家資格を」とは思っていたのです。親父は「同じ仕事をしろ」とは決して言いませんでしたが、「国立に行け、京大に行け」とうるさかったから、ちょっと反抗心もあって、資格を取るのなら「親父を超えてやろう」と、密かに闘志を燃やしていたんです。それで会計士。あまり褒められた動機じゃないですね(笑)。

最初に二次試験を受けたのは4年の時。合格率5%の時代です。わかったのは「とんでもない難関」だということで、生半可な勉強では受かりっこないと思い知らされました。そこからはもう暗黒の2年半。友人らとの付き合いも封印し、受験予備校をかけ持ちしながら猛勉強です。どこまでやっても合格する保証はないから、不安は募るばかりでしたが、5%のハードルを超えることができた時は、本当にホッとしたものです。今振り返っても、人生で一番勉強した時期ですね。

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Profile

ひかりアドバイザーグループ 最高経営責任者 光田 周史

ひかりアドバイザーグループ最高経営責任者光田 周史

1956年9月5日
京都市左京区生まれ
1979年3月
同志社大学経済学部卒業
1981年9月
公認会計士第二次試験合格
監査法人サンワ事務所
(現有限責任監査法人トーマツ)入所
1985年3月
公認会計士・税理士登録
1986年6月
光田公認会計士事務所開設
2003年1月
ひかり税理士法人設立
2006年4月
ひかりアドバイザーグループ結成
2007年6月
ひかり監査法人設立

●外部活動など
日本公認会計士協会理事、日本公認会計士協会京滋会副会長、京都府包括外部監査人、京都市個別外部監査人などを歴任。現在、京都市監査委員、京都家庭裁判所家事調停委員、同志社大学大学院商学研究科非常勤講師、立命館大学大学院法学研究科非常勤講師などを務める

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