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Accountant's magazine vol.42

-アカウンタンツマガジン-
2017年06月01日発行

会計士の肖像

「「組織にではなく職業に忠実であれ」。プロフェッショナルとして立つならば、その使命と倫理を一番重んじるべき」

太陽有限責任監査法人
代表社員 会長梶川 融

会計士の肖像

「自分のことは自分で決める」。早くから目覚めていた自我

数少ない国際的なミッドサイズファームとして、独自のポジションに立つ太陽有限責任監査法人は、現在、上場会社の監査クライアント数国内第4位。スピーディさ、柔軟さといった中堅ならではのメリットを生かした、効率的かつ効果的な監査業務には定評がある。梶川融が、同法人に移籍した1990年当時は10名足らずの規模だったが、幾度かの合併も経て、その器とステージは著しい進化を遂げてきた。それは、戦略的なものというより、元来、自立心の強い梶川が〝変化〞を求めてきた結果である。クライアントや市場のために、そして自分のために、よりよい環境は何かを常に模索し、実行を重ねた日々が今につながっている。「昨日より今日をよくしていく。それを考えることが最高に楽しい」――そんな梶川の言葉が印象的だ。

いわゆる野球少年です。私が生まれ育った頃の東京・世田谷は、まだ田畑が残るのどかなところで、いつも走り回りながら野球ばかりしていました。ですが、体質が虚弱だったものだから、すぐに熱を出したりで、免疫力も弱かったのでしょう。小学校5年の時、急性腎炎を起こして4カ月ほど入院したんです。病気自体は早くに快復したので、深刻な話ではなく、むしろ楽しかったという思い出。というのも、患者は私の知らない様々な地域から来ていたし、小児病棟にはおませな〝お兄ちゃん〞も多かった。見るもの聞くものすべてが新鮮で、私にとっては最初の社会勉強になったわけです。いわば、大人になった4カ月(笑)。入院するまでは甘ったれだった私が完全に親離れし、体質のほうも、体の悪い部分を出し切ったのか、すっかり変わって元気になりました。

もともと、放任されて育ったんですよ。顕著なのは母で、小説家を目指していた彼女は、「私はあなたの親になるために生まれてきたわけじゃない。小説を書きたいの」という調子で、面倒見が悪いことこのうえない(笑)。子供は3歳まで。それまでに、親はすべてのものを与えられるというのが基本の考え方だったらしく、良くも悪くも放っておかれたし、加えての入院経験で、私には早くから自立心が備わっていたように思います。

退院後、学校に戻るとギャップを感じましてね。病院にいた友達は皆大人びていたから、その環境に比べると退屈というか、何だか面白くなくなってしまった。それで、中学は〝違うところ〞に行こうと、東京学芸大学附属の世田谷中学校を受験し、運良く入ることができたのです。

自由で、多くのことが生徒の自主性に委ねられる同校の校風は、梶川の肌に合っていたようで、「好き勝手にやって楽しんでいた」。中学時代に始めたのはバスケットボールで、部活にも勤しんだ。本人曰く「運動はむしろ苦手」らしいが、バスケは当時としては新しいスポーツで、梶川は〝初めての遊び〞に夢中になった。

背だって高くないし、似合わない話なのですが、私は小器用なところがあって、ルールやフォーメーションといった戦略面では長けていたかも……。野球もそうですが、コーチなど不在の時代ですから、ルールをちゃんと知っているだけで大きな顔ができたんですよ。それに、ませた先輩もけっこういて、環境がまた刺激的でした。

そんな先輩の一人に政治家の息子がいて、私は非常に感化されたんです。特に影響を受けたのは高校受験の時。その先輩から、何やら哲学めいたアドバイスを受けまして。「受験勉強というのは学問じゃない。虚しいものだ」と(笑)。ならば、そのまま学芸大の附属高校を〝通常受験〞すればいい話なのですが、何を血迷ったか、私は同じ附属でも慶應義塾というまったく異質な世界に。以降、高校、大学と奔放な生活を送った、というわけです。

高校生になってからは麻雀三昧で、2週間に13日ペース(笑)。大学受験がないから勉強しないし、私、順応性だけは異様にあるので、すっかり慶應の遊び人たちに馴染んでしまったわけです。当時、慶應義塾高校には1学年900人くらいいて、先生の目も行き届かないというか、すでに大学のような雰囲気でした。学校も、変わらず家も放任、本当に自由で楽しかった。

大学に進学する際、迷ったのは学部をどこにするかで、医学部という考えもゼロではありませんでした。ただ、私は手先が不器用なので、いずれ選択の幅が限られてくる。結果的には経済学部を選んだのですが、それは、ずっと算数、数学が得意だったからという程度の話で、具体的な職業イメージがあったわけではありません。あまり褒められた話ではないですね(笑)。

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Profile

太陽有限責任監査法人 代表社員 会長 梶川 融

太陽有限責任監査法人代表社員 会長梶川 融

1951年9月24日
東京都世田谷区生まれ
1974年3月
慶應義塾大学経済学部卒業
1975年11月
公認会計士第二次試験合格
1976年10月
監査法人中央会計事務所入所
1979年9月
公認会計士登録
1988年6月
中央新光監査法人社員
1990年5月
株式会社柿安本店 社外監査役
1990年9月
太陽監査法人
(現太陽有限責任監査法人)代表社員
2000年7月
太陽監査法人
(現太陽有限責任監査法人)総括代表社員
2005年4月
青山学院大学大学院特任教授
2010年4月
青山学院大学大学院客員教授
2014年6月
キッコーマン株式会社 社外監査役
2014年7月
太陽ASG有限責任監査法人
(現太陽有限責任監査法人)代表社員 会長
2017年3月
三菱鉛筆株式会社 社外監査役

[業界活動など]
●日本公認会計士協会
常務理事、副会長、公会計協議会会長
●政府委員
金融庁/公認会計士第三次試験試験委員 内閣府/行政支出総点検会議委員 総務省/情報通
信行政・郵政行政審議会委員、独立行政法人評価制度委員会委員ほか多数
●公益社団法人経済同友会
構造改革進捗レビュー委員会委員長、政府関係法人改革委員会委員長、財政・税制改革委員会副委員長、地方創生委員会副委員長、地方分権委員会副委員長ほか多数

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